2017年10月に大阪府内の公立高校に通う女子生徒が、生まれつきの茶色い髪を黒く染めるよう学校から強要されたとして、大阪府に対し損害賠償を求める訴えを起こした。この勇気ある訴えが火付け役となって、理不尽な校則に対する関心が一気に高まった。私自身もその動きに触発されて、8月に荻上チキ氏との共編著『ブラック校則』を著したばかりである。
つい先日、お隣の国、韓国のソウル市では、中高生の髪型や髪色を規制する校則について、市教育庁が来年秋季からの撤廃を各校に指示した(AFP、THE KOREA TIMES)。校則をゆるめると学校の秩序が乱れるという主張も根強いなか、私たちは校則の存在をどう受け止めるべきなのか。
遅刻取り締まりで生徒が死亡
1980年代以降、校則は管理教育を象徴するものとして、その過剰で細かい規定事項が厳しい批判の対象とされてきた。とりわけ、神戸市内の高校で起きた女子生徒の校門圧死事件は、子どもを徹底して管理することの是非を、世に問うこととなった。
1990年7月のこと、登校時の遅刻取り締まりのために、校門付近で教師3名が指導をおこなっていた。「○秒前!」とハンドマイクでカウントダウンしながら、午前8時30分のチャイムとともに、1人の教師が鉄製の門扉をスライドさせて閉めようとした。そこに、女子生徒1人が駆け込んでいった。教師は気づかずに門扉を押していったため、女子生徒は頭部を挟まれ、死亡する結果となった。
「教師として当然の義務のように思い込まされてきた」
この事案において、門扉を直接に閉めた男性教諭は、刑事裁判において禁錮1年(執行猶予3年)の判決を受けた。事件から3年後の1993年に発表された手記で男性教諭は、当時の自分が置かれた状況を次のように記している。
「私ははっきり言って校門事件当時は、校門を閉鎖して遅刻生徒を取り締まることは正しいと信じて疑わなかった。しかしこうして尊い生徒の生命が失われてみると、他に方法はなかったのだろうかと考えさせられることがある。(略)当時そんなことを考える余裕は私にはなかった。気がつくとそういうシステムの中に嵌め込まれ、そうすることが教師として当然の義務のように思い込まされてきた。(略)私は決められたことを忠実に実行しただけであった。」――『校門の時計だけが知っている』(草思社、1993年、240-241頁)
門扉がスライドして閉められる。間に合わなければグラウンド2周のペナルティが科せられる。門扉をくぐり抜けようと、女子生徒は飛び込んでいった。
異様な光景ではあるけれども、男性教諭の手記によれば、当時はそうした指導が当たり前でもはやその異常性に気づくことができなかったという。