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「晴れ、ところにより紙吹雪」 関内駅1番出口から眺めたベイスターズ優勝パレードの記憶

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/10/18

 あの頃と同じように、階段を上って右を見る。ずっと変わらないY字型の照明塔。ただいつもと違うのは、普段は広くて歩きやすい歩道に人が鈴なりになっていること。1998年11月3日は、よく晴れた気持ちのいい秋の一日だった。

 小学校2~3年の間、横浜西部から関内まで週に1回通っていた。徒歩とバス、電車を乗り継いで40分。ようやく横浜駅に着いたらいくつか階段を降りて横浜市営地下鉄のホームへ向かう。長い道中だけど、まだ真新しいこの地下鉄に乗るのが好きだった。

 黄色一色のポップな改札機の頭上には、これまたイカしたメタリックな逆三角形の通行サイン。通れる改札は↑、そうじゃないところは×のランプが灯り、その下には小のランプ。子供用の切符で通るとそのランプが点く。1982年、自動改札はまだ珍しかったから、切符を投入口に入れる時は「そのまま出てこなかったらどうしよう」といつもドキドキしていた。ホームへ降りるとボウッと警笛音を鳴らして前面に丸目が左右2個ずつ並んだ地下鉄が滑り込んでくる。その真ん中にはYの字とレールがデザインされた青いシンボルマーク。シルバーの車体に真っ青に塗られたドアの組み合わせは、いかにも横浜らしかった。

 関内に着き、1番出口の階段を上って右を見ると、広い尾上町通りの突き当たりにY字型の照明塔がある。煌々と光っていれば野球がある日で、広い歩道を歩く人の数も心なしか多い。その中を、水着やタオルを入れたバッグを抱えて歩いて行く。向かうのは球場ではなく、スクランブル交差点を左に渡ったところのビルだ。そこには通りに面して大きなガラス張りのプールがあり、小さな僕はスイミングを習いに通っていた。

 ガラス張りの中からは、横浜スタジアムレフトスタンドの壁面に沿って試合予定が書かれた幕がかかっているのが見える。〇月〇日から対阪神3連戦、次は対広島、対ヤクルト、対巨人、対中日……。少しずつ野球に興味を持ち始めていた8歳児は、そうやってチーム名を覚えていく。プールから上がった後はビルの上階に上がり、オレンジ一色のスタンドを眺めるのが好きだった。

もしいつか優勝したら、ここでパレードが見たい

 その後横須賀に引っ越し、さすがに関内のプールまでは通えなくなった。でも代わりに、小学校高学年になるとスタジアムまで野球を観に行くようになった。京急で上大岡まで行き横浜市営地下鉄に乗り換える。関内で降りると長い通路を歩いて1番出口を出る。今日の先発は誰かな。豊や博一、屋鋪の盗塁は見られるかな。ポンセや田代はホームランを打ってくれるかな。スタジアムまでの数百メートルの道すがら、色んなことを考えるのが楽しかった。そしていつしかこう思うようになった。「もしいつか優勝したら、ここでパレードが見たい」と。

 横浜でパレードと言えば山下公園から赤レンガ倉庫前を通る開港記念みなと祭のパレードが昔から有名だ。けど、尾上町通りに建ち並ぶビルの上から舞う紙吹雪と、それを浴びながらスタジアムへ向かう選手たちの晴れがましい姿。そんな光景を夢想していたのである。

 でも、それは夢のまた夢だった。そして自分もまた、ホエールズの事ばかり考えていられなくなっていく。高3の時に通い始めた予備校は、幼い日に泳いたプールのあるビルの上階だった。けど大学に受かるまでは目の前のスタジアムに観戦に行く気にはなれなかった。1992年、ホエールズがベイスターズに変わろうとしていた頃も、球場からの歓声を聞きながら夕方からの授業を受けていた。成績が伸びず暗い気分で予備校へ向かう時も、同じように地下鉄関内駅の1番出口からとぼとぼと歩いていた。最新鋭だった地下鉄の駅や車両も、経年のせいか気分のせいか、どことなくくすんで見えてしまう。