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「謝ったら死ぬ病」という現代の社会病理

あるいはこの国の「裸の王様」について

2018/10/11
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声の大きい人の話を聞き続けた結果

 外国人も立派な人間であって、彼らも日本で暮らし、家族を作り、子供を儲けて日本に定着する可能性があります。景気が悪化して労働力がだぶつき都合が悪くなったら帰国してくれるとは限りません。当然、地方に暮らしている外国人たちは自分たちの権利を守るために参政権を求めたり、日本人と同じような生活を求めてくるでしょう。当たり前ですよね、人間なんだから。労働者として外国人が日本にやってくること自体は反対しないまでも、彼らに日本を良く知ってもらい、どう日本の中で時間をかけて共存していくべきなのか、もう少しちゃんと考えておくべきなんじゃないですかね。

 対応するべき課題も重要な政策も、場当たり的に取り組むから、間違っていたときに責任を取りたくなくて突っ張るハメになる。社会保障改革も教育改革も少子化対策も「今までのやり方では間違っていました」と分かっているのに、ごめんなさいして修正をかけることすらできなくなりつつあります。声の大きい人の話を聞き続けた結果、国民や社会全体の利益が後回しになったりしていませんかね。

未来投資会議に出席する安倍首相 官邸HPより

修正することと、リスクを引き受けることと

 本来は、そういう政治であってはいけない、間違っているモノをもう少しきちんと軌道修正し、幅広い意見を吸い上げられる仕組みを与党野党の間で調整していくべきところが、野党が血道を上げる政権批判の骨子がモリカケだったりして、そんなパフォーマンスで国民の生活が向上するような議論に資するわけがないだろうと思うわけです。まあ、この辺は筋の悪いスキャンダルで政権を追い詰めようとするメディアの側にも責任はあるのですが、肝心なところでイデオロギーが邪魔をする。立憲民主党も左派だけの支持ではなく中道派やノンポリの国民の請託も受けられるよう追い風を求めたいはずなのに、重要な政策議論で存在感を示すことができないから、せっかく新党が立ち上がったのに期待感が剥げ落ちて支持率一桁前半とか、どうしようもないなと思うわけです。

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 たぶん、みんなこのままじゃいけない、日本社会は衰退を受け入れざるを得ないと思ってはいると思うのです。ただ、声を上げようにも受け皿はなく、安倍晋三のやることを容認していかなければならない。もちろん、民主主義ですから、自由民主党が政権を取りました、公明党と連立ですと言われれば、それは尊重しなければならないし、党内での決め事で総裁選に三選したのだから、安倍ちゃんは立派な宰相だとも言えるでしょう。でも、それは安倍ちゃんが最善だからというよりは、他に良い人がいないからという相対的なものだということは国民もうすうす気づいていると思うのです。どの世論調査を見ても、支持する理由は「他に相応しい内閣がないから」、不支持の理由はだいたい「人柄が信頼できないから」です。もうこの状況は安保法制ですったもんだする前からずっと続いているわけですよ。

官邸HPより

 当然、在庫一掃内閣と言われたり、全員野球内閣と名づけるとみんなライトを守ってるとか揶揄されるわけですけど、それ以上に、政策議論の不実さ加減は相当なものです。これで、本当に憲法改正とかやるんでしょうか。安倍政権が概ね支持されているのは経済が回っていてそこそこ好況だからで、この前提が崩れたらどうしようもないことぐらい分かっていると思うのですが、そろそろ身近な人が、安倍ちゃんに「大将、そろそろ服着ませんか?」とやんわり言ってあげられないものかと思ったりもするんですけどね。風邪ひきますよ。

「謝ったら死ぬ病」という現代の社会病理

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