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将棋アマ名人を獲得した鈴木肇が、再びプロ棋士を目指すまで(後編)

将棋アマ名人を獲得した鈴木肇が、再びプロ棋士を目指すまで(後編)

これは新しい、希望を持てる時代の物語である

2018/11/30
note

前編より続く)

がけっぷちの三段リーグ

 2013年度前期。鈴木は7期目となる三段リーグに臨んだ。最初は2連勝でスタートした。あとは、一進一退だった。2013年9月9日に26歳の誕生日を迎える鈴木にとって、これが最後となるがけっぷちの戦いを意味していた。

 2018年現在、奨励会の年齢制限の規定は、以下のように定められている(日本将棋連盟「奨励会規定」)。

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〈満21歳の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる。ただし、最後にあたる三段リーグで勝ち越しすれば、次回のリーグに参加することができる。以下、同じ条件で在籍を延長できるが、満29歳のリーグ終了時で退会〉

「アマ名人獲得記念イベント」での鈴木肇(写真提供:藤田なつき)

 ただし書きは、わずかな救済規定である。勝ち越し、すなわち10勝8敗以上の成績を取ることができれば、次の期の三段リーグにも参加することができる。この規定が、後に鈴木にとっては、大きく意味を持つようになる。

「プロはすごい」

 年齢制限が迫る中でも、鈴木は変わらず記録を取り続けた。

 2013年8月1日。鈴木はB級2組順位戦・佐藤天彦七段-戸辺誠六段戦(段位はいずれも当時)の記録を取った。もう1つの忘れられない対局だ。

「戸辺先生は自分より1つ歳上なんですけれど、ずっと『兄貴』という感じでした。将棋も教えてくれたし、ご飯も食べさせてくれた。よく家にも泊まらせてもらいました」

 佐藤-戸辺戦は、すさまじい勝負だった。最初の一局は両者手を変えられずに、千日手で引き分けとなった。指し直し局はまさに死闘。終盤ではずっと戸辺がリードしていた。佐藤の玉は、何度も死線をさまよった。しかし、佐藤は危ういところで切り抜け続ける。

「天彦先生の王様の耐久力がすごくて……。すごかったです。すごい名局だった。『プロはすげえなあ』と思いました」

 鈴木の語彙力が足りないわけではない。確かにその一局を並べ返してみれば「すごい」としか言いようがない。すさまじい生命力を見せた佐藤の玉は、ついに最後の最後まで捕まらなかった。終了時刻は深夜2時32分。174手で、佐藤が大逆転勝利を収めた。

 結果的に佐藤はその期、B級2組を10戦全勝で通過する。さらにはB級1組、A級を経て、将棋界の最高峰である名人位にまで上り詰めた。

「プロはすごい」

 佐藤の強靭な粘り腰を見て、改めて鈴木がそう思ったのは、ギリギリのところにまで追い込まれている自身の姿と比べてみたからだろう。

 最後となるかもしれない三段リーグ。鈴木は15局を終えた時点での成績が7勝8敗だった。残り3局のうち、1局でも敗れたら、その時点で退会決定だ。がけっぷちに追い込まれていた。鈴木はそこで、からくも踏みとどまり続ける。2連勝して、9勝8敗。最終局に勝てば生き残れるというところまでこぎつけた。

 運命は皮肉なようにできていた。実はこの期、鈴木と同じような立場の三段がいた。それが宮本広志である。