将棋界の第一人者である羽生善治竜王が、また新たな金字塔を打ち立てた。11月21日に行われたA級順位戦、対阿久津主税八段戦に79手までで勝ち、公式戦通算2000対局を達成したのである(未放送のテレビ棋戦含む)。
過去に達成者は6名だけ
プロ棋士の実績を測る指標はいくつかある。通算獲得タイトル数や通算勝利数などがそうだろう。こちらでも羽生はタイトル99期(史上1位)、1417勝(同2位)という偉大な数字を打ち立てているが、対局数もそれに劣らぬ、プロ棋士の実績を示す評価値となる。
過去に公式戦で2000局を達成したのは大山康晴十五世名人、加藤一二三九段、中原誠十六世名人、有吉道夫九段、内藤國雄九段、谷川浩司九段の6名(達成順)である。いずれ劣らぬ、将棋界の歴史に名を遺した一流棋士ばかりだ。
ではなぜ、対局数が評価されるのだろうか。それはプロ公式戦のシステム上、勝たなければ対局数が増えないからである。
一部を除き、プロ棋戦は基本的にトーナメント戦である。1度負ければその時点で参加資格を失い、翌年の新期を待たなければ参加できない。最後まで勝ち進んで、初めてタイトル保持者との番勝負に臨めるのである。トーナメントで多く勝ち上がり、番勝負を戦うことで、初めて対局数は飛躍的に伸びるのだ。裏を返せばタイトルを争うような棋士というのは常に数多くの対局を戦っていることになる。対局数の多さが一流の証明であることがお分かりいただけるだろうか。
2000年はタイトル戦だけで33局
ここで改めて羽生の数字を見てみよう。2000局達成時における1417勝、勝率0.709はいずれも歴代1位。達成時の年齢48歳1ヵ月は史上最年少、四段昇段時からの年数32年11ヵ月は史上最速。これまでの1位が大山の1326勝・勝率0.664、谷川の52歳5ヵ月・37年8ヵ月ということから見ても、圧倒的である。
また年度別の対局数を見てみると2000年度の89局(68勝)、1988年度の80局(64勝)、1992年度と2004年度の78局(61勝と60勝)が、自身の年間対局数ベスト3だが、これは全棋士中の記録としても第1位、第6位、第8位タイとなっている。
特に、米長邦雄永世棋聖が持っていた88局(1980年度)という数字を更新した2000年度は圧巻である。当時あった七大タイトルのうち名人戦を除く6棋戦に出場し、そのうち5棋戦を勝って五冠を制する。
この年はタイトル戦の番勝負だけで33局(20勝13敗)を戦った。地方に遠征して行われることが多い番勝負は前後の移動日も含めると、1局につき3~4日は拘束される。それは対局の準備に当てる期間が減ることを意味する。そのような準備不足が想像される環境で、タイトル戦に加えて一般棋戦でもNHK杯戦と銀河戦にて優勝し、また勝ち抜き戦(5連勝で優勝扱い、現在は休止)では圧巻の16連勝達成と、まさに獅子奮迅の活躍ぶりだった。
ちなみに羽生が六冠を保持した状況で年度が始まり、1996年2月に同時七冠を達成した1995年度の対局数は55局(46勝9敗)、そのうちタイトル戦は30局(25勝5敗)である。これは保持していた六冠で予選を指さなかったことが、対局数の少なさに現れたものだ。