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「新天皇のお言葉、何に注目すべきか」――池上彰と佐藤優が語る2019年の論点 #2

2019年の論点100

2018/12/11
note

日本はいったいどういう国なのか

佐藤 それと同時に、天皇の退位という、明治維新以降なかった事態によって、日本の「国体」というものが、また議論される必要性が出てきたことも重要ですね。

 つまり、北畠親房の『神皇正統記』を読み直す必要がある。親房は、革命を否定してはいないんですね。天命が変われば地の秩序も変わるのは普遍的な現象であると。しかし、日本の場合は中国と違って、他姓が取って代わるのではなく、天皇家の中で禅譲・放伐が行われるのだという。武烈天皇の後に即位した継体天皇がそれに当たります。

 そこで明治維新ですが、革命という視点からすると、放伐はもとより、禅譲も完全に封印したことに意味があったと考えることができます。朕の徳が足りぬから世が乱れるのだ、という形で天皇は退位することができなくなった。これで明治政府は革命を完全に封じ込めたと言いかえることもできます。

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 それが今回、明治以降封印されてきたルールが解きほぐされたということは、国体がそれ以前に戻ったと見ることもできる。つまり今回の天皇の退位とは、復古維新でもあるということです。薩長によって縛りをかけられた国体を、それ以前に戻した。ただし、それは革命思想の復活でもあります。だからこそ、日本とはいったいどういう国であるのかをきちんと考え直す必要があると思うのです。

 また、今回の生前退位のプロセスというのは、本当は憲法の枠組みを超える形で始まっていますね。しかし、そのことを誰も問題にしないし、これを機に共和制にしてはどうかという議論も出てこない。つまり、そういった意味で、今上天皇による国体論というのは完成していると見ることができる。同じ戦後レジームからの脱却でも、鳥羽伏見の戦い以後の戦後レジームを脱却したのです。

2016年8月8日、「象徴としてのお務め」についておことばを述べられる天皇陛下 宮内庁提供

 ここで注意したいのは、こういう議論に、「国柄」という言葉はそぐわないということです。国柄だと文化だけがテーマになってしまう。おどろおどろしい言葉であっても、やはり「国体」という言葉を使ってこそ、議論が深まる。

池上 ただし、そういった議論をするにしても、そもそも今の保守派と呼ばれる人たちが何を考えているのか、私にはよくわからない。

 たとえば、元号の発表の時期をめぐる顛末でもそうです。これまで官公庁がコンピュータシステム間でやりとりをするとき、カレンダーシステムは元号でやってきました。ですから、システムを変更する時間を考えて、できるだけ新元号は早く発表するはずでした。ところが、新元号は即位のときに発表するのが筋であるという保守派の巻き返しがあって、結局、直前まで発表されない見通しです。その結果、どうなったかというと、政府は今後、西暦で一本化する方向で考えているというのです。

佐藤 元号の重さを訴えようとして、かえって元号が消えていく風潮に棹差してしまった。