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2023年の論点

Ado、ずとまよ、yama…顔出しだけはしない「覆面シンガー」が増えた“納得の理由”とは?

Ado、ずとまよ、yama…顔出しだけはしない「覆面シンガー」が増えた“納得の理由”とは?

2022/12/25

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, 芸能, 音楽

note

「覆面」の本質的理由とは?

 以上、「覆面シンガー」たちの「覆面」の理由を追ってきた。加えて、さらにもう一つ、私の考える、より本質的理由があり、それこそが今後の音楽シーンを占う上で、非常に重要な要素と考える。

 それは――「歌(音楽)に集中したい」というピュアな想い。

 思えば、これまでの日本の音楽シーンにおいて、女性の音楽家、特にシンガーは「女性シンガー」「女性アイドル」などと、性別込みで分類されてきた。

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 さらには、この「女性」という記号を抱えた瞬間、歌(音楽)そのものだけでなく、外見やファッション、ダンス、その他の立ち居振る舞いも含めたパフォーマンス全体で評価される傾向があった。

 もちろん、歌/音楽の実力だけで生き残った女性音楽家もいることにはいる。それでも思い出すのは、例えば『恋人よ』(80年)で大ブレイクした五輪真弓が、そのルックスに関して「妖怪人間ベラそっくり(のキツい顔)」と、主に芸人界隈からさんざん揶揄(やゆ)されたという事実だ。

 松任谷由実や中島みゆきとて、例外ではなかった。それくらい、この国においては、女性音楽家が音楽のみで勝負することは難しいのだ。

「覆面」は構造的産物

 もうお分かりだろう。「覆面」は歌や音楽に集中する絶好のツールなのである。

 加えて「リアル」を放棄することによる副次的効果として、話題性も獲得できるし、日常生活のストレスも感じることはないし、さらには、ネットの世界で活躍していたアマチュア時代とシームレスな形で活動ができるのだ。そう考えると「覆面」を外す理由などまったくない。そう、「覆面」は構造的産物なのだ。

 この状況が進めば、10年後の本誌で、私は書くかもしれない――「顔出しシンガーが増えた理由」という原稿を。

◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2023年の論点100』に掲載されています。

Ado、ずとまよ、yama…顔出しだけはしない「覆面シンガー」が増えた“納得の理由”とは?

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