海を眺めたい。都会で暮らしていて、そんな風に思うことはないだろうか。

 リゾート地のような整えられた自然ではなく、あくまでも日常の暮らしの延長線上にあるような風景。明るい日差しが寝床を照らす朝、布団から抜け出してカーテンを開けると、窓のそとには青い海が広がっている。

2階からは、浜田の海が見渡せる
2階からは、浜田の海が見渡せる

 島根県石見(いわみ)地方、浜田市にある「尾田家」ではそんな滞在を楽しむことができる。

早朝に波の音を聞きながらコーヒーを

 玄関を開け、まず視界に入るのが吹き抜けになっている土間。外観から想像する以上の開放感がある。そして、廊下を抜けてリビングに向かうと、窓際にはハンモック。そのハンモックに揺られながら窓の外に目を向けると、“山陰ブルー”と呼ばれる海が飛び込んでくる。砂浜までは、ベランダから徒歩10秒といったところ。

広々としたリビング。窓辺にはハンモックも
広々としたリビング。窓辺にはハンモックも

 寝室は1階と2階にそれぞれ1室ずつ。2階の寝室はオーシャンビューだ。

 オーナーの尾田洋平さんは地元・浜田市出身。空き家バンクで物件を探して、築80年だった古民家にたどり着いたという。

「コンセプトは『暮らすように旅する』です。石見には、ご飯屋さんもお土産屋さんもたくさんある。ですから、チェックインだけして、あとは地域で楽しんでもらうような宿を作れないかなと。こだわりのポイントは、段になっているリビングのスペースですね。お客さんがいないときは私が泊まることもあるのですが、早朝にコーヒーを飲みながら波の音を聞くのが一番の楽しみです」

 尾田家には、ホテルや宿と違って常駐のスタッフはいない。その分、楽しみ方は自由だ。キッチン、冷蔵庫、洗濯機は完備しているため、長期滞在でも安心できる。

 例えば、浜田には7つの沖堤防があり、釣り人にとって楽園のような場所だ。大物を釣り上げても心配はいらない。尾田家ならば、キッチンでさばいて、新鮮な海の幸を味わえる(なお、万が一ボウズになってしまっても、「はまだお魚市場」に行けば浜田漁港で水揚げされた旬の魚介類が購入可能だ)。

浜田は釣りスポットが多い。写真は、釣れたイシガキダイをさばく釣りYouTuberのぬこまた釣査団・大西隊長。刺身は濃厚な味わいだった
浜田は釣りスポットが多い。写真は、釣れたイシガキダイをさばく釣りYouTuberのぬこまた釣査団・大西隊長。刺身は濃厚な味わいだった

 夏ならば目の前のビーチで海水浴を楽しめるし(ベランダにはシャワーがある)、庭のピザ窯でオリジナルピザを焼くことだってできる。家のなかは「映える」スポットばかりなので、カメラ男子/カメラ女子も腕がなるだろう。

 尾田家の定員は最大8名。誰となにを楽しむのか、そんなプランを考えるところから旅が始まっているのかもしれない。

渋い外観とモダンな内装のギャップもたまらない
渋い外観とモダンな内装のギャップもたまらない

INFORMATION

尾田家
住所:島根県浜田市熱田町1655
電話番号:0855-27-0720
Instagram @odaya_1655

萩・石見空港までは羽田から1日2便

 島根県石見地方に向かうためには萩・石見空港が便利だ。羽田空港から1時間半のフライトで、朝と夕方の2便がある。海面にキラキラと反射する山陰の朝日を眺めていると、あっという間に到着してしまうだろう。

石見地方への旅の玄関口となる萩・石見空港
石見地方への旅の玄関口となる萩・石見空港

 また、県内の移動にはレンタカーが便利だ。現在、萩・石見空港の利用者には2日間2,000円でレンタカーを借りられるというお得な割引キャンペーンがあり、飲食店や温泉などで使える各種クーポンまでサービスされる(利用に際しては条件あり。詳しくは、公式ホームページを参照のこと)。

中庭を愛でるための町家

 浜田市の「尾田家」が明るい海のイメージならば、“山陰の小京都”と呼ばれる津和野町にある「町家ステイ戎丁」は落ち着いた「静」といったところか。

リビングのソファに座ってリラックス。もとの建物の梁が活かされたデザインになっている
リビングのソファに座ってリラックス。もとの建物の梁が活かされたデザインになっている

 明治23(1890)年に建設された長屋建築をもとに改装された宿のアクセントは、リビングから見渡せる中庭。夜にはライトアップされ、“町家ステイ”に彩りを与えてくれる。

「地域で空き家が増えたことから、『何かできないか』という話が出ていました。そうしたなか、2年間かけて改装して、2015年にオープンしたのが『町家ステイ戎丁』です。津和野はもともと箱庭文化が有名でして、一般のお宅にもこのような中庭があることが多いのです」(津和野町観光協会・松村聡子さん)

中庭に降りることもできる。昼と夜で表情が変わる
中庭に降りることもできる。昼と夜で表情が変わる

 津和野の魅力は、なんといってもその街並みだろう。石畳の通り、家々の白壁、そして掘割(用水路)を優雅に泳ぐ鯉。津和野藩の城下町として栄えた古都からは、歴史の息遣いが感じられる。鉄道好きには、山口と島根を結ぶ「SLやまぐち号」の終着駅としても知られている。

「最近はコロナ禍ということもあって、まわりに気を使わずに滞在できる宿へのニーズが高まっています。家族で静かに過ごされる方も多いですね。また、町を流れる清流日本一の高津川の鮎が有名で、こちらにお泊まりいただいて鮎の専門店に足を運ぶ方もいらっしゃいます」(同前)

“小京都”と呼ばれる津和野の街並み
“小京都”と呼ばれる津和野の街並み

 なお、津和野は清流を生かした酒造りが古くから有名で、現在も3つの酒蔵が営まれている。中庭を愛でながら地酒で一献という一夜も悪くない。あくる朝には、木の香りに包まれながら檜風呂で熱いお湯に身を沈めると、だいたいの悩みは些事に思えてしまうかもしれない。

夜になると街は静けさにつつまれる
夜になると街は静けさにつつまれる

INFORMATION

町家ステイ戎丁
住所:島根県鹿足郡津和野町後田イ320
電話番号:0856-72-1771
HP:https://tsuwano-stay.jp/

熱い温泉に浸かったあとは

 浜田市から海沿いを車で1時間弱。レトロな温泉街・温泉津(ゆのつ)のはずれに「温泉津HÏSOM(ヒソム)」がある。

近くの入り江までは徒歩3分ほど。朝や夕方の散歩もおすすめだ
近くの入り江までは徒歩3分ほど。朝や夕方の散歩もおすすめだ

 こちらも以前は空き家だったという。近江雅子さんは、HÏSOMをはじめとして、この地で4つの宿を手がけている。

「私はお隣の江津市出身なのですが、9年前に東京から“Jターン”でやってきました。ただ、意を決して移住したのに、すてきな古民家の多くは空き家になっているし、温泉街も旅館に泊まって帰るだけの方が多い。暮らすように滞在できる宿をつくれば、『ここに住んでみたいな』と思う人が現れるんじゃないか、という思いから始めました。

 当初は草木が茂って、外から建物が見えないぐらいの状態でしたが、地域の人にもご協力をいただいて、2019年にHÏSOMをオープンすることができました。実際、HÏSOMに滞在して神秘的な集落の雰囲気に魅了され、温泉津に移り住んでバーを始めた方もいらっしゃいますよ」

 2つある寝室は、畳と木材が温かい空間を醸し出す。そして、庭に面した明るい縁側が宿泊者の気分を上げてくれる。

明るさと温かさが同居する空間
明るさと温かさが同居する空間

 温泉津は長い歴史を持つ湯治湯として知られている。その中心にあるのが「泉薬湯 温泉津温泉元湯」だ。薬湯が自然噴出しており、浴槽からわずか1メートルの位置に源泉があるというから驚く。「熱い湯」「ぬるい湯」そして初心者用の3つの浴槽があり、「ぬるい湯」でも43度ほど。「熱い湯」は48度ほどになるが、常連客はこちらにも浸かっていた。

 HÏSOMの滞在中にぜひ味わいたいのが、出張シェフによるケータリングサービスだ(5,500円×人数+出張料金5,500円)。広いキッチンを利用して、シェフが地元の食材を活かしたコース料理を振る舞ってくれる。

ダイニングテーブルの真横で調理が行われる。大きなキッチンカウンターは、もちろん宿泊者が利用することも可能
ダイニングテーブルの真横で調理が行われる。大きなキッチンカウンターは、もちろん宿泊者が利用することも可能

 この日のメニューはフレンチ。ウロコまでパリッと焼き上げたアカアマダイ、甘みのあふれ出る温野菜、肝をソースに溶かしたアワビのリゾット、魚の旨味が凝縮されたスープ・ド・ポワソン、そしてメインの豚のローストまで、いずれも絶品ばかりだった(メニューは季節によって異なる)。圧倒的なコスパだと断言できる。

皮をフライパンでパリッと焼き上げたアマダイ
皮をフライパンでパリッと焼き上げたアマダイ

 ダイニングテーブルのすぐとなりで調理されるため、フライパンでパチパチと油がはじける音、肉や魚の香ばしいかおり、シェフの包丁さばきなど、五感を刺激するエンターテイメントとして楽しめる。お値段以上の満足度は間違いない。

 そうして夜が更けてゆくと、あたりには静けさのなか満天の星空が広がっていた。

まさに小さな集落でまさに「ひそむ」ようにして暮らす体験ができる
まさに小さな集落でまさに「ひそむ」ようにして暮らす体験ができる

INFORMATION

HÏSOM(ヒソム)
住所:島根県大田市温泉津町温泉津イ588-1 
電話番号:090-7507-6558
HP:https://hisom.jp/

ひとつだけ注意点が…

 山陰、石見地方に点在する古民家一棟貸の宿。

「古民家」という響きから不便そうなイメージが浮かぶかもしれないが、どこもモダンにリフォームされている(改装に2,000万~3,000万円かかった物件もあるとのこと)。建物の外観や梁などに古民家としての骨格を残しつつ、水回りや寝室などは快適そのもの。Wi-Fi環境も整っている。

青のグラデーションが楽しめる「山陰ブルー」の景色
青のグラデーションが楽しめる「山陰ブルー」の景色

 家族、あるいは親しい仲間たちと同じ空間をシェアできるのも、一棟貸ならではの良さだろう。料金プランは宿によって異なるが、人数が増えれば1人あたりの宿泊費が割安になるところも多い。

 今後、新しい旅のスタイルとして定着すると思われるが、ひとつだけ注意点がある。それは、1泊では十分に満喫できないという点だ。「古民家でのんびりする」醍醐味を味わうためには、少なくとも2泊はしたいところ。朝、昼、そして夜へと移り変わる建物、街、自然の表情に魅了される旅は、まさにオンリーワンの体験になるだろう。

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写真=山元茂樹/文藝春秋