〈コメは精白するほどにおいしくなる。それに反比例して、栄養価は失われていく――。
東洋ライス(和歌山市)代表取締役社長の雜賀慶二氏(92)は、この矛盾をなくすという難題にも挑んだ。
精米技術で人々の健康づくりに寄与したい。その思いから開発したのは、まさに常識破りの「金芽米」だ。そしてそれを広めたのは、「イナバウアー」で知られるあの金メダリストだった。〉

白米が引き起こした「江戸わずらい」
――御社の看板商品「金芽米」を開発した経緯を教えてください。
雜賀 きっかけをくれたんは、厚生労働省が発表してる我が国の医療費のグラフを見たこと。それが10兆円台に乗ったのは1970年代後半で、当時は毎年1兆円ずつ上がってた。こりゃえらいこっちゃなと感じたね。
一方で過去をさかのぼると、医療費はだんだんと減っていって、1955年ごろだとほぼゼロだった。それを知ったとき、私はふと思った。日本人の病気が増えた一因は精米のやり方にあるんじゃないか、と。
1955年といえば、私は会社を立ち上げる前で、まだ精米機の販売業をやってた。じつはそのころに精米機が変化したんです。
それまでの精米機は技術的にコメを真っ白にできなかった。だから、白米と言っても、ちょっと黒っぽかったんです。
それが1955年に、「噴風式摩擦精米機」という真っ白に精米できる機械が現れた。風を吹き付けることで、従来よりもヌカを落とせるようになった。コメが白くてきれいだから、精米工場も米穀店もこぞってその機械に替えていく。そこから真っ白なコメの時代が始まった。これが医療費が上がった一因なのでは、と思ったわけ。
それで歴史を調べてみると、日本でこういうことが起きたのは、初めてじゃない。昔にも同じようなことがあったわけよ。幕末から明治にかけて、コメの加工の仕方が変わった。そのころも、真っ白に精米したくて、砂を入れた。
――えっ、砂ですか。
雜賀 そう、「混砂精米法」といって砂を研磨剤代わりに使った。そうしたらコメを覆っている皮が早く剥けるし、時間を掛ければ真っ白になる。真っ白なコメが流通しだしたんですよ。
ところがそのころから、原因不明の病気「江戸わずらい」が起こった。白米を主食にすることにより、ビタミンB1が欠乏して起きる「脚気」のことですわ。元気にしてた人が地方から江戸に出てくると、病気になる。故郷に戻ったらまた元気になる。あれは江戸の風土病やということで、「江戸わずらい」という名前がついたんやね。
日清・日露戦争で軍隊におびただしい数の病死者が出たのも、白米を主食にして脚気に罹ったからと言われている。
その後、東京では今でいう条例によって混砂精米が禁止された。砂を混ぜてるというのが庶民の耳に入って、汚いんじゃないか、衛生上良くないんじゃないかというので、禁止令が出たわけ。
それで米穀店も仕方なく元の黒っぽいコメを出すようになった。同じ時期に江戸わずらいが急速になくなったのは、その結果やろうね。
コメの価値を変える
〈陸軍が脚気に悩まされた原因は、文豪・森鴎外の勘違いにあった。彼が軍医として最高位の軍医総監だった際、脚気を細菌による感染症と見誤ったのだ。白米食を継続した結果、犠牲者を増やしてしまった。
そうした過ちを知った雜賀氏は、先ず隗より始めよと、自身の食卓で主食の白米を玄米に変更する。〉
雜賀 日本人の健康を保つためには、やっぱりコメが大事や。コメは悪くないんだけど、その加工の仕方がいかん。
私は若いころ、漢字に興味を持ってた。カス(粕)の字は、米に白と書くでしょう。白米は、コメのカスに当たるんじゃないかと思った。精米で削り取るヌカ(糠)は、米に健康の康。ヌカの方にこそ、健康を保つ栄養が含まれているんじゃないかと考えたわけ。
コメの中身をみると、白米は炭水化物。身体が必要とするエネルギーやね。しかし人間が健康に生きるためには、他にもいろんな栄養素がいる。それは白米の部分じゃなくて、その外側のヌカに詰まってる。だから玄米は昔から完全食品と言われてきた。
私は病弱やったから、白米食を改めなあかんと思い立った。ところが主食を玄米に変えると、消化不良でお腹を壊す。3日もしたら、こりゃいかんとなった。
それから分搗き米に変えた。そうすると、よく搗くほど、おいしく食べられる。それでも白米になる手前の九分搗きにしても、白米に比べるとおいしくない。
こんなことじゃいかん。おいしく食べられて、しかもヌカの栄養素を残すにはどうするか。栄養素は、でんぷん層に一番近い境目「亜糊粉層」に集中してるわけです。そこでこの部分を残す研究を始めました。
――亜糊粉層を含むコメの構造は、すでに知られていたんですか。
雜賀 古い研究はあったけど、味や栄養素まで詳しく調べてなかった。だから、手さぐりに近かったね。
研究を始めたとき、亜糊粉層が残ってるはずの九分搗きはなんでまずいんやと疑問が湧いてきた。
調べたら、コメが100粒あるとすると、100粒がみんな均等に精米できているわけじゃないとわかった。真っ白に剥けてるものもあれば、ヌカがムラになって残っているものもある。そのせいで、おいしくなかった。
――1つの粒のなかでも削り具合に差が出るのでしょうか。
雜賀 そやね。同じ粒でも、この辺はヌカが残ってるといったムラが出る。

精米に秘められた可能性
〈食べやすさと栄養価を損なわないことを両立する。そのためには、なんとか亜糊粉層を均等に残せる精米方法を開発したい。雜賀氏は長い年月をかけてそれを生み出す。〉
雜賀 ヌカは人間の服と同じで、幾重にもなってコメを覆ってる。それまでの精米機は、効率を高めるためにそれを一挙に剥いていた。重なり合った服をガッと剥くようなことを部分、部分でやっていくわけですよ。米粒はラグビーボールのような楕円形の球状やから、機械に当たってこすれるのは、わずか一点。当然、均等に剥けなくてムラが生じる。
コメの表面から、ヌカを均等に、少しずつ取り除いていけばいい。そういう発想から、「均圧精米法」という手法の精米機をつくったんです。
――ムラをなくすのは、大変ではないですか。
雜賀 米粒は小さいもんやから、一筋縄ではいかんわな。機械をどう変えれば、どういう効果が生じるか、細かく見れないでしょう。精米機の中に大量の米粒が入って、ガーッと混ざって出てくるわけやから。どういう作用と効果が起きるかは、想像の世界でしかない。頭の中でこうかな、ああかなといろんな絵を描いていくことの積み重ねやったな。
幼いころに培った、うなぎの立場になったら捕まえ方が見えてくるという能力を使ったんですよ。米粒や機械の気持ちになって、技術を完成させた。2005年に「金芽米」をようやく発売できた。
――金芽米の特徴として、ふっくらした炊き上がりになるそうですね。
雜賀 亜糊粉層は水をよく吸うからね。炊くときにたっぷりと吸えるだけの水を入れてやる。するとこの層が吸水して、グルコースなどの旨みや甘みをもたらす健康糖質を大量につくり出す。いままでのごはんとまったく違う、ふっくらして甘みがある炊き上がりになった。
――「金芽米」という名前の由来はなんですか。
雜賀 胚芽の底がある程度残ってて、それが金色に見えることから名付けた。普通の精米機だと、胚芽がコロッと取れてまうけども、均圧精米法だと、胚芽の基底部がなかなか取れずに残ってる。
――その後、「金芽ロウカット玄米」も開発しますね。
雜賀 金芽米は、玄米のような栄養価が得られるおいしいコメとして開発した。ふつうの白米に比べて、ビタミンB1を約7倍、食物繊維を約1.8倍、オリゴ糖を約12倍含んでる。それでも玄米に敵わないところが一つあって。食物繊維が少ないんやね。食物繊維は米粒のヌカに多いから。
食物繊維を求めている人も多いやろう。特に便秘に悩む人にとっては、便通を改善するポイントになるわけやし。それで玄米を食べやすくするには、どうしたらええか思案するようになった。
玄米の表面には、雨がっぱに当たる、水をはじく「ロウ層」がある。いくら水に浸けて炊いても、米粒のなかまで浸透しなかったら、硬い炊き上がりになるのは当たり前や。だからロウ層を取らなあかん。
もっとも、ロウ層を取った商品もあった。ただ、売られている商品をみんな取り寄せて炊いたら、まずいんだわ。米粒が割れて、口当たりが悪いから。
割れる理由は加工のムラ。白米、要はでんぷん層は吸水すると膨らんで、周りのヌカ層をグーッと引き伸ばす。ヌカ層の残り方にムラがあると、よく削られた箇所に圧がかかってそこが耐えきれなくなり、パンッと割れてまう。
そこで、ロウ層を均等にはがす技術を確立し、2015年に金芽ロウカット玄米を発表した。
――どんなご苦労がありましたか。
雜賀 大きいもんやったら、固定しといてガーッと剥ける。けど、米粒という小さいもんやから、なかなか思うようにいかん。長年コメを扱ってる私たちだから、開発できたんやね。
金メダルで脚光
〈金芽米は発売の翌年、思わぬことから脚光を浴びる。「金の芽がある金芽米」というキャッチフレーズのテレビCMが、にわかに世間の耳目を集めたのだ。〉
――金芽米を一躍有名にした人がいるとか。
雜賀 フィギュアスケートの荒川静香さんです。2006年のトリノオリンピックでは日本の選手でただ一人金メダルを獲ったでしょう。あれで、金芽米の生産が追い付かないほど売れたね。
――荒川さんは新語・流行語大賞にも選ばれた「イナバウアー」で一世を風靡しましたね。起用されたのはなぜですか。
雜賀 我々は機械メーカーでしょう。金芽米というコメを売り出すと決めたものの、一般の消費者は我々のことを何も知らん。いかにして世の中に知ってもらうか。やっぱりテレビCMがいるなと気付いた。
健康にいいという特徴を売り込むには、元気溌剌であるスポーツ選手を使うべきや。そのとき宣伝に協力してくれた人が、オリンピックで活躍するような選手を活用したらいいとアドバイスをくれた。
私は「そんな人にお願いしたら、スポンサー料がものすごく高いでしょう」と心配したんや。そうしたら「いや、そうじゃない。まだオリンピックに出ると決まってない選手を選んで、うまく出場に漕ぎ着けたらええやないか。これは運次第や」と。何人か選手を引き合わせると申し出てくれてね。
けど、私はスポーツもCMも全然分からん。そこで、長女に代わりに行ってもらったんですよ。長女が「荒川さんがええように思う」と言うので、スポンサーになることにした。
1934(昭和9)年和歌山県生まれ。中学校卒業後、家業の精米機販売の仕事に就く。1961(昭和36)年、コメの中から石粒を取り除く「石抜撰穀機」を発明。以来、60年以上にわたり、精米機器およびコメやその加工に関する研究など技術発明に従事。その代表的な発明品には「トーヨー味度メーター」「BG無洗米」「金芽米」「金芽ロウカット玄米」などがある。
――荒川さんは、オリンピックに行くかどうかも決まってない状況だったんですね。
雜賀 後に出場が決まって、そりゃよかったと喜んだね。
オリンピックが始まると、日本人の選手は100人以上行ってるのに、一向にメダルが獲れん。このままやったら、日本はメダルがゼロやなと心配してたんだわ。
そしたら閉幕目前の2月24日の朝(日本時間)、荒川さんが獲った。妻が「お父ちゃん、荒川さんが金メダル獲ったで」って教えてくれて。「そりゃ、よかったな」と話したんですけど、それはあくまでも日本の国にとってという意味でそう思っただけ。私は確かにスポンサーをやってるけども、金メダルで自分たちに影響が出るとは想像しとらんかった。
メダル獲得のニュースが流れた朝、銀座の事務所にいくら電話しても、つながらん。午前から午後まで何回掛けても話し中で、社員の連中は無駄話ばっかりやってるって腹立ってね。電話がつながるなり怒ったら、「社長、それどころじゃないんです。我々、昼飯すら食べてません。すごいことになってます」と。
そこで初めて事態がわかった。問い合わせや取材の依頼が殺到してたんや。荒川さんはオリンピックの競技前も金芽米を食べていた。金メダリストが食べてるコメを買いたいと、引き合いが多かったね。
――飛ぶように売れたのでは。
雜賀 売れたらよかったんだけど、そのときは爆発的に注文が来ると思わんかったから。まだボチボチ売ってる段階で、量産体制を敷いてなかった。買いたいと言うてこられても、出せるものないんやとお断りせな、仕様がない。「わしがこんなに頼んでもあかんのか」と、散々言われましたよ。
〈雜賀氏は医療費や介護費が増えている事態を“国難”と捉えている。「令和の米騒動」で顕在化した農業の生産力の弱体化もその一つだ。それらの解決に向け、産官学に消費者も巻き込んだ活動に取り掛かり始めた。〉
〈以下次号〉![]()

くぼた・しんのすけ
1978年福岡県生まれ。2004年日本農業新聞に入社。国内外で農政や農業生産の現場を取材し、フリーに。2024年『対馬の海に沈む』で第22回開高健ノンフィクション賞を受賞する。
提供 東洋ライス株式会社
photograph:Shiro Miyake
design:Better Days
出典元
【文藝春秋 目次】芥川賞発表 受賞作二作全文掲載 鳥山まこと「時の家」 畠山丑雄「叫び」/忖度なき提言 高市首相の経済政策/緊急座談会 暴君トランプの新帝国主義
2026年3月号
2026年2月10日 発売
1650円(税込)
