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最悪の場合、殺されてしまうのではないか

 さて、冒頭に書いた「どうして兄を家に置いているのか?」という質問についてですが、これは非常に難しい問題なのです。

「兄を家から追い出したい」「どこか遠くへ逃げたい」「いっそのこと警察に突き出そうか」。

 家庭内暴力に悩まされるようになってから15年にもわたって、私たちも様々な解決策を考えました。しかしどれも、問題を解決するのに現実的な方法ではありません。

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 私たちが恐れたのは、「報復行為」でした。兄を家から追い出したところで、遠くへ逃げたところで、警察に捕まえてもらったところで、恨みを募らせて復讐心に燃える兄によっていつか、もっと酷い目に遭わされるのではないか。最悪の場合、殺されてしまうのではないか。そんな不安から、何か行動に移すこともできず、ただただ毎日が過ぎるのをじっと堪えて、待つことしかできなかったのです。繰り返される苦痛に追い込まれた私たちにとっては、兄を警察に通報することよりも「兄を殺してしまう」という選択の方が、よほど現実的であるし、唯一の解決策であるかのようにも思えました。

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父親が14歳の長男を金属バットで殺害したケースも

 家庭内暴力が原因で、実際に殺人事件にまで発展してしまったケースもあります。1996年に、父親が当時14歳だった長男を金属バットで殴り殺害した「東京湯島・金属バット殺人事件」です。

 当該夫妻は、日頃から長男による酷い暴力に頭を抱えており、なるべく長男を刺激しないように、理不尽な要求にも可能な限り応えてきたといいます。しかし状況が改善されることはなく、日に日に暴力はエスカレートしていき、次第に父親は疲弊し「死にたい」と思うほど追い詰められていました。

 殺害当日の朝も、寝ている長男の顔を見ながら、本当に殺すしかないのかを直前まで悩み続けたといいます。「今日も殴られるんだなあ。これからもずっと殴られるんだなあ。こんな緊張した苦しい状態からいつ逃れられるかわからないなあ。ずっと続いていくんだろうなあ」。

 そして決断した父親は、長男を殺害し、自首しました。

 逮捕後、彼が「私たちが長男を支えなければならなかったのに、それを殺してしまった」「見捨ててもいいと思えるくらいなら、彼のそばを離れられたと思いますが、離れられなかった」と泣きながら話したことからも分かるように、いくら暴力を振るわれたとしても、彼にとっては、この長男はかけがえのない自分の息子だったのです。そして「家庭内の問題である以上、どうにかして、自分たちで解決しなければならない」という義務感に苛まれていたのだと思います。

 1998年、東京地裁は父親に対し、懲役3年を言い渡しました。減刑嘆願書に500人が署名していましたが、最終陳述において本人が「息子のことを思うと、減刑を求める気にはならない」と発言し、実刑判決を控訴せず受け入れました。

「金属バット殺人事件」の判決公判が開かれた東京地裁の法廷 ©共同通信社