現在公開中の映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』は、アフリカ系アメリカ人として生まれたベトナム帰還兵アレン・ネルソンの手記を原作としている。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも自らの戦争体験を語ることを選び、日本各地で1200回を超える講演を続けた人物である。

 メガホンをとったのは『野火』(14年)など戦争をテーマとした作品で知られる塚本晋也監督。なぜこの手記に注目し、映画化するに至ったのか。「文藝春秋PLUS」で配信されたインタビューを、再構成してお送りする(聞き手:「文藝春秋PLUS」MC・黒岩里奈)。

亡くなったアレンさんと、その体験を映画で復活させる

 

――まずはこの原作に注目された理由と、映画にしようと思われたわけについて教えていただけますか。

塚本晋也(以下、塚本) 大岡昇平さん原作の『野火』を撮る際に集めていた資料として出会った本なんです。

 アレン・ネルソンさんが自分の戦場体験をすべて正直に話していて、戦場でこんな恐ろしいことがあるんだ、また人間は戦場でこんな恐ろしいことをしてしまうんだ、という衝撃がありました。

 もしこれを映画にしたら、戦場の実態が多くの人に分かってもらえるきっかけになるんじゃないか、というところから映画化の企画がスタートしたんです。

――映画にするまでに大変なハードルがあったかと思いますが、いつ頃から企画がスタートしたのでしょう。

塚本 具体的に動き始めるのは8年ぐらい前からだったんですが、そこからは新型コロナ、さらにはアメリカの俳優さんのストと、いろいろ難関が立ちはだかりました。さらに、アレンさんのご家族にインタビューしたいと思ったんですが、アプローチするのに、相当時間がかかりましたね。内容が内容だけに、ご家族がすぐに質問にお答えしてくれるかどうか分かりませんでしたから。最終的には、プロデューサーや監督助手の方々の努力でクリアすることができました。

©Mr. Nelson, Did You Kill People? Film Partners

――日本人の監督がベトナム戦争を描くということについては、どうお考えに?

塚本 この映画に関しては、亡くなったアレンさんを映画で復活させて、彼の体験と生きた姿というのを皆さんに知っていただきたい、ということをメインに考えていました。ですから、ベトナム戦争自体を描くことが目的ではなくて、アレンさんを描くためにベトナム戦争が舞台になったということなんです。

――そこまでアレンさんを描くことにこだわった理由は、何だったのでしょう。

塚本 本来ならアレンさんは、子どもや近所の人からも愛されていて、音楽も好きで、というみんなに好かれるタイプの人なんですね。そんな「いい人」が、一度戦争に行ってしまうと、その加害性に歯止めがなくなってしまう。これはアレンさんに限らず、戦場に行ったらみんなそうなってしまう……ということを描くことが必要だと思ったんです。

日本でも戦場に出てPTSDになった人がいた

 

――ネルソンさんも、最初は人を殺めることに対して強烈なためらいがあったのが、ある時点から何人殺したか数えなくなったとおっしゃっていますね。

塚本 やっぱり、明日あるいは今から5秒後に死ぬかもしれないというときの人間の精神状態が、そういうふうにしてしまうのかな、とは思っています。

 最近読んだ本の中で、映画監督の小津安二郎さんも戦争体験をしていて、相手の兵隊さんを殺していくときに無感覚になったということが書かれていたんです。あの非常に静謐な映画を作る小津安二郎さんでもそうなってしまうんだ……と、それが恐ろしいですよね。

 日常に帰ってくると、今度は人を殺してはいけない世界に戻ってくるんで、そのギャップがどうも精神的にバランスを崩してPTSDになってしまう。あるいはそれを忘れようとして……日本で言うと高度成長期の時代にめちゃくちゃ働いて、忘れたように見えても、定年後に夜中に「うわーっ」と急に大声を出して起きてしまうということが、亡くなるまで続くような例もあったみたいですよ。

©Mr. Nelson, Did You Kill People? Film Partners  ©Allen Nelson/KODANSHA

――戦地から帰っても戦争は続くという問題、そしてPTSDというものを、監督はどういうふうにご覧になっていますか。

塚本 PTSDという概念が出てきたのは、ベトナム戦争が終わってからなんです。ただ最近わかってきたことですが、実際は日本でも戦争中に精神がおかしくなって、病院に収容されている人も大勢いたんです。カルテもあったんですが、戦争が終わったときに、機密保持のためなのか、軍はそれらを隠すように指示したんです。つまり、日本でも戦場に出てPTSDになった方はたくさんいたのに、何のケアもされないまま世の中に戻されてしまっていたんですね。こうしたエピソードも、映画に入れようと思ったんです。

――アレンさんは、ベトナムの記憶を自分の口で語ることに、心身ともに厳しい思いをされています。それでも、アレンさんは自身の体験を語り続けられました。

塚本 これには2つの理由があったそうです。1つは、正直に話せば話すほど自分のPTSDが軽くなったこと。それと、やはり自分が体験した戦争の恐ろしさを、同じことを他の人には絶対してほしくないという思いを伝えたい、と思ったこと。自分の治癒と使命感とがあったみたいですね。

暴力の連鎖を断ち切るためには、戦争を始めないこと

 

――父親から暴力を振るわれてきた過去を持つアレンさんが、自分もまた戦争のPTSDで暴力的になってしまい、自分の息子にも影響を与えるんじゃないか……と怯えるシーンが印象的でした。監督は、この暴力の連鎖を断ち切るために必要なものは、何だとお考えですか。

塚本 これはひとつしかありません。戦争を始めない、ということですよね。一度始めたら、暴力の連鎖が続いてしまうので。

 自分たちはずっと戦争をしないまま80年も過ごせています。世の中の流れがどうなろうが、絶対に戦争しないということのためにはどうしたらいいのかを、一生懸命考えるしかないのかな、と思います。

――最初からその思いで題材を選ばれていたのか、それとも撮られているうちにその結論に至られたのか、どちらだったんでしょうか。

塚本 15年前に『野火』を撮ろうとしたのは、「戦争は嫌だな」「恐ろしい」という気持ちと、具体的に日本が戦争に近づいているような感じがしたからだったんです。ただ、それはあくまで戦場の恐ろしさを描くつもりでした。ただ、戦争は戦場だけじゃなくて自分たちの国に戻っても続くし、家族にも影響を与えて連鎖していくという考えに至ったのは、この10年の間でしたね。

©Mr. Nelson, Did You Kill People? Film Partners  ©Allen Nelson/KODANSHA

――今の世界情勢を、監督ご自身はどのようにご覧になっていますか。

塚本 自分は政治家さんのような難しいこととか、ジャーナリスティックなことをあまり考えていないほうで、普通の人の目線で見ているにすぎないんですが、掟破りの戦争があったり、今の世界の動きは怖いなと思っているんです。

 ただ、戦争に巻き込まれる可能性があるから、と軍備を整えるためにお金を使う、あるいはそれを通して憲法に書いてあるような理念さえも変えてしまうのは、行き過ぎじゃないか、とどうしても思えてしまうんですね。

 もちろん議論はたくさん重ねていくべきだと思います。その前に、とりあえずこの映画を観ていただいて、「戦争というのは、こういうものなんだよ」と、肉体でその戦争というものを感じていただいたうえで、議論をしていただけたらなと思います。

つかもと・しんや 1960年、東京都生まれ。89年に『鉄男』で劇場映画デビュー。その後、『六月の蛇』(02年)、『KOTOKO』(11年)などを経て、14年に大岡昇平原作の『野火』を映画化。暴力の表現において鮮烈な印象を与える。戦後の闇市を舞台とする『ほかげ』(23年)を経て、今作は3本目の戦争映画となる。俳優としても多数の作品に出演。

©Mr. Nelson, Did You Kill People? Film Partners  ©Allen Nelson/KODANSHA

INTRODUCTION
『鉄男』(89年)、『野火』(14年)などで知られる塚本晋也監督による唯一無二の戦争映画。原作は18歳で海兵隊に志願したベトナム帰還兵アレン・ネルソンが、加害者の視点から戦争の恐ろしい現実と拭いきれない精神的痛みを綴った手記。キャストにブロードウェイミュージカルなどで活躍するロドニー・ヒックス、『シャイン』(95年)でアカデミー主演男優賞受賞のジェフリー・ラッシュ。さらにマーク・マーフィー、リリー・フランキー、タチアナ・アリらを迎え、ニューヨーク、ベトナム、タイ、沖縄で撮影を敢行し、この事実に真っ向から取り組んだ。
STORY
貧困や差別から抜け出すために18歳で入隊したアフリカ系アメリカ人のアレン・ネルソン。ベトナムという苛烈な戦地で学んだのはただひとつ、いかに多くの人を殺せるか。その対価として得たのは、ごくわずかな賃金とPTSD(戦争後遺症)だけだった。23歳で家を追い出され、ホームレスとなったアレンをこの世につなぎ止めたのは、退役軍人病院でカウンセリングを行っていたダニエルズ医師の存在だった。
STAFF & CAST
監督・脚本・撮影・編集:塚本晋也/出演:ロドニー・ヒックス、ジェフリー・ラッシュ、 マーク・マーフィー、リリー・フランキー、タチアナ・アリ/2026年/日本/116分/配給:キノフィルムズ/©Mr. Nelson, Did You Kill People? Film Partners ©Allen Nelson/KODANSHA/2026年9月11日より公開中。

https://nelsonsan.jp/

提供/(株)キノフィルムズ