毎日のように流れるフジテレビのニュース。取締役相談役という奇妙な肩書を持つ日枝久氏の動向も注目されていますが、日枝氏は、なぜ権力を握ることになったのか、フジテレビの歴史を見ることにします。
フジテレビは、1957年の設立当時は「富士テレビジョン」でした。誰でも知っている日本のシンボルを名前にしたというわけです。
そもそもは東京のラジオ局の文化放送とニッポン放送が中心となり、そこに映画会社3社が加わって設立されました。今回、文化放送の社長がフジテレビの社外取締役になっていることを知った人もいるでしょうが、こうした経緯があるからです。
設立の中心となったのは文化放送の水野成夫社長とニッポン放送の鹿内信隆専務でした。水野氏は共産党の活動家でしたが、逮捕されて獄中で転向。一転して大の共産党嫌いになります。戦後は財界で共産党対策を担当し、文化放送の社長に就任していました。また、鹿内氏も財界で共産党対策を担当した後、ニッポン放送の専務になっていました。鹿内氏は戦時中、フィリピンで日本軍将兵のための慰安所の設立に関与していたことを自伝で語っています。
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source : 週刊文春 2025年2月13日号