世界初の先物取引所に勃発した“享保の米騒動”を描いた歴史小説家と、「お金ではなく、人を中心とした経済を」と説く元GSトレーダーの金融教育家が考える、お金とその向こう側。

 

――江戸時代、大坂堂島にあった「デリバティブ市場」を舞台に米商人たちと幕府が(しのぎ)を削る『天下の値段 享保のデリバティブ』。このテーマを選ばれたのはなぜですか。

門井 きっかけは、まさに大阪・堂島の書店で平積みにされていた高槻泰郎さんの『大坂堂島米市場』(講談社現代新書)を読んだことです。大坂で自然発生的に出現し、徳川吉宗が八代将軍になる18世紀はじめには、精緻なシステムを備えていた先物取引所。日本初ではなくて、世界初であったことに興味を惹かれました。また、近年では、生活や老後の不安から、「投資」に熱を上げる人が多いことにも関心があって、相場の原点たる堂島米市場を舞台に作品を描いてみようと思いました。

『天下の値段』(小社刊)

田内 金融の世界で、大坂堂島が世界初の組織的先物市場だったことは意外に知られていますが、一般には浸透していないですよね。17世紀のヨーロッパにもチューリップ相場のような先物取引はありましたが、堂島米市場がルールを決めて、証拠金を預かって清算するシステムまであったというのには驚きました。

門井 大坂という土地の特質が前提にあります。江戸時代になって、国内の物資を運ぶ海上航路――東回り航路と西回り航路が整備されます。とくに西回り航路は、北海道利尻島から日本海を東北、北陸、下関を経て、“海の国道一号線”瀬戸内海に入り、大坂に至る大動脈でした。大坂は全国で作られた米の一大集積地となり、各藩の蔵屋敷が立ち並び、米商人が集まってきた。

田内 僕が興味深かったのは、米商人たちが取引に使った「米切手」です。それ1枚で10石(約1.5トン)分の米と交換できる証文として売り買いされていたんですよね。ただの紙切れにすごい価値がある。私たちも価値があると信じている紙切れ――現代の紙幣と同じです。「この紙は必ず米と交換してもらえる」という「信用」は、紙切れにお金としての価値を担保してくれる権力がなければ生まれません。

門井 そう、戦国時代のように、いつ大名家が潰されるか分からない状況では不可能だったでしょうね。1603年に幕府が出来た後も、50年ほどは大名の改易、転封は頻繁に行われていた。吉宗の頃になってようやく政治経済が安定して、大名たちは米切手を発行しても、市場から「ただの紙切れと違う」と認められたのだと思います。

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source : 週刊文春 2025年9月25日号