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「囚われのプリンセス」佳子さまは高3で豹変した 紀子さまに「うるさい!」

「週刊文春」編集部
ニュース 皇室

「早くこの生活から抜け出したい」。引っ込み思案だった次女はいつしか、母を言い負かすようになり、そんな本音も吐露するようになっていた。だが、姉の背中を追いかけようとするプリンセスの切なる望みに今、暗雲が――。

 

▶︎中学校 フィギュア「失敗しても合格になるのが嫌」
▶︎「ダンスより結婚」あきらめた 国立大“表現”コース
▶︎「答えるつもりはない」メディア不信の原点はNHK
▶︎歌会始「眞子さんと同じデザインのカチューシャに」

「佳子の、ひめみこ」

 1月18日、宮殿・松の間で開かれた「歌会始」。入選者や選者の歌の詠み上げが終わると、秋篠宮家の次女・佳子さま(27)のお名前が古式に則った独特の表現で呼ばれた。披講にあたって起立された佳子さまは、繊細な刺繍が施されたエメラルドブルーのローブ・モンタント姿。頭上のカチューシャのリボンにも、レースがあしらわれている。

 成年以降の佳子さまの帽子を手掛け、今回のカチューシャもデザインした、帽子デザイナーの平田欧子さんが明かす。

「宮家の女官さんを通じてご注文をいただきました。こちらが提案したデザインに対しては『眞子さんが以前着けていたカチューシャのように、レースを使ったデザインにしてほしい』と。最近はコロナで公務も少なく、久しぶりのご注文でしたが、今回のオーダーにはこれまで以上に細かなこだわりを感じました」

姉と同じデザインを希望された

 眞子さんと同じデザインに――。佳子さまは昨年11月、眞子さんから引継いだ公務に臨まれる際も、眞子さんから譲り受けたグリーンのスーツをお召しになった。それはまるで、“最愛の姉の味方であり続ける”という宣言のようだった。

 眞子さんと同様、結婚して皇族を離れることを望んでおられるとされる佳子さま。じつはこの歌会始の日、秋篠宮家、中でも佳子さまの将来を大きく左右する議論が新たな展開を見せていた。安定的な皇位継承のあり方を巡る有識者会議の最終報告書が、与野党の代表者に報告されたのだ。

 示されたのは、(1)女性皇族が結婚後も皇室に残る案と、(2)旧皇族の男系男子が養子として皇族復帰するという二案。今後、議論は国会の場に移っていく。

「ただ、(2)案は、皇族に復帰したい旧皇族を探すのがなかなか難しい。配偶者や子の身分など細部の検討は必要でしょうが、(1)案のほうが現実的とされている。各社の世論調査でも、(1)案への賛成意見が7割前後と、(2)案を大きく上回っています」(宮内庁担当記者)

 女性皇族が結婚後も皇室に残る案が現実のものとなれば、「皇室を出る」という佳子さまの望みは永遠に断たれることになる。

 1994年12月29日、秋篠宮家の次女として生を享けられた佳子さま。しっかり者とされた長女の眞子さんに比べ、引っ込み思案なお子さまだった。

「報道陣のカメラがお好きではないご様子で、記者がいるとご両親の陰に隠れるほどの恥ずかしがり屋でした」(皇室担当デスク)

 そんな佳子さまを変えたのは、フィギュアスケートとの出会いだ。

「練習を始められたのは、学習院初等科2年生のころ。神宮外苑のスケートリンクに毎日のように通われていた。登校前、朝6時からの練習にも励んでおられました」(秋篠宮家関係者)

小2の頃からスケートリンクに

 その甲斐あって、2005年、初等科5年生で「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」小4以上の部で優勝。07年にも同大会の小6以上の部で優勝を果たされた。

「周囲が『五輪に出たらどうするんだ』と気を揉むほどの上達ぶりでした」(同前)

 身体表現の技術や美しさを競うフィギュアを通じ、カメラから隠れていた幼い少女は姿を消した。だが、熱心にレッスンに取り組むほど、“ある葛藤”に苛まれるようになる。

「自由もない、人権もない」

 学習院女子中等科のころ、スケート教室の夏合宿に参加された佳子さまは、練習生の一人に「相談がある」と話しかけられた。そして、こう吐露されたのだ。

「昇級テストで、どんなに失敗しても合格になってしまうのが嫌なんです。特別扱いされるのが嫌……」

 確かに佳子さまは昇級テストの際、ジャンプの時に回転不足で着氷してもなぜか合格になったという。

 それだけではなかった。

 佳子さまは当時、

「“さま”は嫌」

 と仰り、練習生たちから「佳子ちゃん」と呼ばれていた。だが、大会のアナウンスでは一人だけ「さま」付けで呼ばれる。自分らしくありのままであろうとしても、皇族というお立場を突きつけられてしまう。

 葛藤を抱えながら、10年、佳子さまは学習院女子高等科に進学。夏にはご両親に同行して地方公務デビューを果たされるなど、皇族としてのお立場を自覚される機会が増えていく。

 一方で、佳子さまはフィギュアに代わり、高等科で新たな身体表現に心を奪われた。フィギュア以上に、普通の女子高生らしく挑戦できるもの。ダンスだ。

 10月に開かれた学習院の文化祭「八重桜祭」で、佳子さまは「可愛い&SEXY」をコンセプトとした五人組グループ「KYS」のメンバーとして登場。メンバー紹介で、

「セクシーな腰振りが魅力の佳子――!」

 と評された佳子さまは、ブリトニー・スピアーズやアヴリル・ラヴィーンの曲に乗せ、当時の流行だった“エロカッコいい”ダンスを披露し、観客の声援を一身に浴びられたのだ。

 忖度も特別扱いもない。ただひたすら自分のパフォーマンスに、観る人が喝采を送ってくれる。佳子さまがダンスにのめり込んだのは、そんな理由からだったのかもしれない。

高校時代からダンスに励まれていた

 しかし――。

 ダンスという新たな目標を見つけられた佳子さまにまたしても立ち塞がったのが、皇族という“軛(くびき)”だった。自分らしさより皇族らしさ。それを誰よりも体現していたのが、紀子さまだ。

「セクシーなダンスがメディアでも話題になったことで、紀子さまがダンスに反対なさるようになったのです。世間の目を敏感に察知される紀子さまは、『皇族として相応しくない』と批判されるのを懸念しておられました」(前出・秋篠宮家関係者)

 高校時代、紀子さまとたびたび衝突するようになった佳子さま。母の言葉に従われ、一度はダンスを諦めたこともあったが、

「高2のころ、“母の反対は関係ない。自分のやりたいことをやる”と固く決意されたのです」(同前)

 高2で迎えた11年秋の「八重桜祭」でも、再びステージに立たれた佳子さま。母の注意に、もう耳を貸すことはなかった。後に、髪型や服装、門限まで細かく仰る紀子さまに対し、

「うるさい!」

 と、ピシャリと返されるようにもなった。

「折しも、この11年秋に民主党の野田佳彦政権が女性宮家創設の検討に着手。翌年には有識者へのヒアリングを重ねるなど、本格的に皇室典範の改正を目指したのです。当然、佳子さまの存在も念頭に置いた議論でした」(同前)

 そして12年、佳子さま高3の年。“自由への渇望”は頂点に達する。

「自由もない、人権もない。早くこの生活から抜け出したい」

 佳子さまは、信頼できる人物にこう苦悩を打ち明けた。その人物は言った。

「いまの法律では、この生活から抜け出すためには結婚しかありません」

知られざるもう一つの志望校

 佳子さまは、こうした会話を逐一、眞子さんに伝え、共有していた。母の紀子さまは、望んで皇室に嫁いでこられたお方。眞子さんだけが、同じ運命を共有できる“同志”だった。姉妹にとって「結婚」は、共通の道標となっていく。

両手を大きく広げ、姉を抱き寄せる

「結婚した女性皇族には、品位保持のために1億円を超える一時金が支払われます。佳子さまも高校生のころ、一時金の存在をお知りになった。すぐにそのことも眞子さんに報告したそうです」(前出・秋篠宮家関係者)

 奇しくもこの年の6月、眞子さんは国際基督教大学(ICU)のキャンパスで小室圭さんと出会う。当初から結婚を意識した交際だった。姉はいち早く、皇室から連れ出してくれる相手を見つけていたのだ。

 ただ、このころの佳子さまにとっては、結婚はまだ遠い未来の話だったかもしれない。多くの高3の生徒と同様、進路決定という眼前の人生の岐路に立っていたからだ。しかも佳子さまは学習院大ではなく、他大学進学を希望されていた。

「眞子さんのときも、秋篠宮さまが『学習院は高校まで。大学は他を受けさせたい』と仰り、眞子さんはICUに進まれました。佳子さまにも環境を変えたいという思いがあったようです」(別の秋篠宮家関係者)

 じつはこの進学問題こそが、佳子さまが“豹変”するきっかけとなったという。

「佳子さまがこのとき、都内の有名私大を受験されて不合格だったことはメディアでも報じられました。しかし、知られざる志望校がもう1校あった。国立の東京学芸大学です」(同前)

 東京・小金井市に拠点を構える学芸大は、教育学部に特化した単科大学。ただし教育の分野は幅広く、佳子さまが受験した当時は「芸術スポーツ文化課程」が存在した。

「佳子さまは大学で、身体表現を学びたいと考えておられたのです。その点、学芸大の芸術スポーツ文化課程には『表現コミュニケーション』専攻があり、ご関心に合致していた。ただ、課程の定員は95名という狭き門でした」(同前)

 フィギュアスケートにダンスと、身体でメッセージを伝えることに励まれた佳子さま。しかも、それをただの趣味で終わらせることなく、学問として研究することを志されたのだ。高2のときに“やりたいことをやる”と決意された佳子さまが、ようやく見つけられた道でもあった。

卒業式に向かう母と娘

 だが結局、佳子さまが学芸大の門をくぐることはなかった。翌年4月に佳子さまが入学されたのは、内部進学の学習院大学文学部教育学科。そこに、志された“身体表現”は無い。

「受験はうまくいかず、佳子さまは有名私大も学芸大も諦めざるを得ませんでした」(佳子さまの知人)

 その学習院大も14年8月に中退。翌15年、眞子さまの背中を追うようにICUに入学され、姉の紹介でダンスサークルに体験入部もなさった。だが、当時は佳子さまが「美しすぎるプリンセス」として取り沙汰されていたころ。メディアの注目を集めることになり、本格的な入部は断念せざるを得なかった。

「一時期、町田市のダンススクールに通われていましたが、これは郊外でメディアの目につきにくいという理由でした。ただ、そのダンスもここ数年は“封印”しています」(前出・記者)

家柄より小室さんのような男性

 皇族という“軛”の前では、思い定めたダンスも儘ならない――そう思い知らされた佳子さまが選ばれたのは、小室さんと結ばれようとする姉と同じ道だった。

 例えば、学習院大時代は、グループ交際で知りあった男子学生のA君にアプローチされている。佳子さまはこのとき、A君に対し、

「家柄って重要じゃん」

 と告げられたという。

「A君の実家は旧皇族に連なる家系。祖父は上皇のご学友です。佳子さまはそれをご存知で『うちもいろいろと面倒だから、ちょうどいい』とアプローチされた。A君を宮邸に招いたことまであったそうですが、A君が断ったため、交際には至りませんでした」(同前)

 ただ、学習院大であれば、こうした家柄の男子学生との出会いも多いはずだ。

「A君は、佳子さまからの交際の申込みに“畏れ多い”と感じたようでした。それまで佳子さまは、自身のお立場から、交際相手にも家柄が求められると現実的に考えておられた。しかしA君に断られた上、眞子さんの交際を間近でご覧になっているうちに、家柄よりも小室さんのように強い精神力を持っていることが重要だと思われたのかもしれません。結局、ICUに入学され、伝統が優先される学習院とは“別の世界”と出会われるのです」(同前)

NY生活の小室さんと眞子さん

 17年以降、その眞子さんと小室さんの問題が持ち上がると、メディアへの不信感が高まっていく。

「19年、ICU卒業にあたって文書を公表された佳子さまは、結婚を考えるお相手の有無を問われて『今後も含めお答えするつもりはございません』と回答された」(同前)

 そうした佳子さまのメディア不信の“原点”は、NHKにあるという。

「14年、佳子さまが学習院大を中退し、ICUをAO入試で受験することを正式な発表前にNHKがスクープしたのです。この年の成年会見では『関連して申し上げたいことが』と自ら切り出され、『合格するかどうか分からない中でこのような報道があったことで様々な誤解があった』と苦言を呈されました」(同前)

 眞子さんが結婚したときも「多くの誹謗中傷があったことを、私もとても悲しく感じていました」と述べられた佳子さま。果たして姉のように、自身にとっての“小室さん”を見つけ、「この生活から抜け出す」日が来るのか。

 しかし、そんな佳子さまの運命を大きく揺るがしているのが、冒頭で触れた皇位継承を巡る議論だ。

「今夏には参院選が控えており、国会で本格的な議論が始まるのは、それ以降になります。とはいえ、いまの佳子さまに結婚なさるような男性の影は見られません。お相手についてはこの先、女性宮家の創設なども踏まえた議論が出てくるでしょう」(前出・デスク)

 国民とともにある皇室にとって、女性皇族が結婚後も皇室に残ることを期待する国民の声は重い。だからこそ、ありのままに生きることを望まれる「囚われのプリンセス」の葛藤は深く、そして先が見えない。

ありのままに生きることは……

source : 週刊文春 2022年2月3日号

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