赤道を跨ぎ、大小1万3500もの島々から成るインドネシア。この島嶼国家へ逃げ込んでいた指名手配犯の谷口光弘(47)が6月7日夜、スマトラ島南部のランプン州で現地警察に身柄を確保された。
コロナ給付金詐欺の摘発が相次ぐ中、同一グループでは最大規模となる約9億6000万円を詐取したのが、光弘を大黒柱とした谷口一家だ。妻の梨恵(45)、長男の大祈(22)、次男のA(21・犯行当時19)の3容疑者は5月30日、詐欺容疑で警視庁捜査二課に逮捕されている。
光弘の起伏に富んだ半生を辿ると、インドネシアを逃亡先に選んだ背景、そして「やり手の実業家」から「詐欺一味のボス」に身を堕としていく軌跡が、くっきりと浮かび上がってくる。
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実業家として頭角を現し、事業を拡大
「家長の光弘は、山っ気が強く、金儲けが大好きな男です。指名手配写真の印象とは違い、人当たりがよくて頭も切れる。奥さんや息子たちは、いつも光弘に言われるがまま仕事を手伝うだけでした」(知人)
光弘は“豪商の街”として知られる三重県松阪市で生まれた。中学時代は陸上部で鳴らし、文武両道を地で行く優等生。地元の有名私立高校に進学後は、早稲田大学を目指し、勉学に励んだ。ところが、「合格確実」と言われながらも、早大受験に失敗。大きな挫折を味わっている。
その後は市内の学習塾で講師をしながら生計を立てたが、「東京へ行って、ホストになって稼ぎたい」と言い出し、まずは地元で水商売の修行を始めた。今から27年前、光弘が勤めていたバーのマスターが振り返る。
「ミツ(光弘)はうちで2年ほど修行した後、20代前半で独立しました。上京はせず、松阪駅近くで『サンタムール』(※仏語で聖なる愛の意)という小さなカウンターバーをオープンさせたんです。商売の才覚があったんでしょうね、20代のうちに市内にバーをもう1軒、さらに洋風居酒屋の経営も始め、複数の飲食店のオーナーになりました」
実業家として頭角を現した光弘は、30歳前に宅建免許を取得。今度は一発合格だったという。こうして不動産業に進出すると、グルメや美容をテーマにした女性向けローカル情報誌も発行するなど、精力的に事業を拡大した。プライベートでは、歯科衛生士だった梨恵と結婚。3男3女の子を持つ“ビッグダディ”となり、中古ながら市内に露天風呂付の大邸宅を購入する。
しかし2011年、住宅ローン融資を巡る詐欺事件を起こして逮捕されると、順調だった光弘の実業家人生は暗転していく――。
再起を懸けて没入したインドネシアの油田開発
「谷口は太陽光発電ビジネスにもいち早く参入していて、莫大な利益を上げていました。各地の山にソーラーパネルを設置しては、設備を次々と売りさばくんです。その頃は車を複数所有し、赤いフェラーリにも乗っていました。でも、ローン詐欺で逮捕されてから数年後、今度は国税が入って、貯め込んでいた資産を追徴金でほとんど持っていかれたんです。フェラーリも手放しました」(同業者)
その後は、都内港区六本木に不動産投資系の会社を設立。仮想通貨に手を出したり、韓国で飲食店経営に乗り出すなどしたが、いずれも成功を収めることができなかった。そして2016年以降、再起を懸けて没入していったのが、インドネシアの油田開発だった。
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「インドネシアには古い油田がいくつもあるんです。掘り起こせば、国が買い取ってくれる。権利を押さえたら巨額の利益を生むんです」
光弘はそう熱っぽく語って、片っ端から出資金を募っていった。当面の目標額は1億円。三重、東京、インドネシアの3カ所を行き来し、インドネシアに長期滞在している期間は、大祈やAら息子たちも呼び寄せた。大祈の友人が言う。
「親父を手伝って、インドネシアで油田を掘る現場監督をやるんだと。僕らも誘われましたよ。『月に100万円出すから』って」
インドネシアに土地勘のない光弘は当初、同国にパイプを持つという日本人の老紳士と組んでいた。だが、やがてこの人物とは袂を分かつことになる。
「話が違う。騙された」
光弘は周囲にそう憤っていたという。ビジネスパートナーとの間で何が起きたのか。老紳士の電話番号に連絡すると、アフリカの某国に繋がった。
「とんでもない奴ですよ。わっはっは」
――谷口光弘を知っている?
「知っているも何も、とんでもない奴ですよ。わっはっは」
――油田事業で何があったのか。
「私はジャワ島にある、田舎の小さな油田掘りをしていて、谷口はそれに投資をすると。自ら企業や投資家からお金を集めてきたんですが、彼は韓国の女にマンションを買ったり、世界旅行に出かけたりして、遊興費に使い込んでしまったんですね。ご存知ないんですか」
――どれくらいの額を使い込んだと。
「何億かになるんじゃないですかねえ。4、5億くらいですか。私のところが使い込んだみたいに思われて迷惑したんですが、(投資した)みんなにバレて、『必ず返します』と言っていましたよ」
――光弘は油田のほか、水産ビジネスにも手を出していた?
「それは知りませんねえ。ああ、そういえば、風の噂では、現地におる奴らとまた事業をやっていたようですが、仲間割れしたと聞きましたよ。こんなの追っかけてもしょうがないでしょう。わっはっは」
「事業がうまくいかない」
金儲けに目がないとはいえ、事業を趣味のようにして生きてきた光弘が、人から集めた出資金を本当に女や遊興費に使い込んだかどうかは定かではない。怪しさ満点の老紳士は「電話はまた後にしてくれませんか」と言ったきり、連絡が取れなくなった。
こうして一発逆転を狙った光弘の油田開発事業は頓挫。すでに出資者を巻き込んで大金を投じている。光弘は以降も現地で独自ルートを開拓し、油田事業の収益化を目論むのだが――。
「事業がうまくいかない」
2019年頃、松阪市に戻っていた光弘は、珍しく知り合いにこう漏らすようになっていた。追い討ちをかけるように、同年暮れには、税金未納で自宅などの所有不動産を一時、松阪市に差し押さえられる。そして、2020年5月に持続化給付金制度の申請が始まると、再び禁断の詐欺行為に手を染めていくのである。
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無数の不届き者が群がった持続化給付金を巡る詐欺は、支給のスピードを重視するために手続きを簡略化した、審査の“脆弱性”を突いたものだった。光弘は梨恵や息子たちと役割分担し、申請者集めと虚偽申請の手続きを繰り返していく。
「親父(光弘)のやってるビジネスで、30万が受け取れる話があるよ」
2020年の夏前、松阪市に住むBさんは、友人だった光弘の次男Aからこう持ち掛けられた。
「Aの父親は事業を手広くやって成功しているイメージがあったし、それならやっておこうか、と気軽にその話に乗ってしまったんです。言われるまま、通帳やマイナンバーカードなどをAに渡し、手続きをしてもらいました。その頃、Aは東京の六本木を拠点に親父のこの詐欺行為を手伝っていたようで、申請者の確定申告の書類を受け取るため、しょっちゅう税務署に足を運んでいました」(Bさん)
個人事業主に対して支給される給付金は、最大100万円。満額の支給を受けたBさんは、うち70万円を谷口家に吸い上げられた。事件発覚後、Bさんは警視庁の事情聴取に応じ、全ての経緯を打ち明けているが、申請した名義人として100万円の返還義務を負ってしまった。
「僕だけでなく何人もの友達が同じように誘われ、加担してしまいました。地元でAたちは総スカンですよ。僕も許せない思いです」(同前)
規模が拡大し、手続きは杜撰に
一方、谷口家が集めた申請者の数は、口コミや紹介でネズミ講のように膨れ上がっていった。手分けをして毎日のように虚偽申請を積み上げ、その数は約4カ月で1800件近くに達している。
「申請の場所は全国36都道府県に及んだ。谷口一家の役割分担だけでは捌き切れなくなり、一家の協力者は十数人の中心メンバーをはじめ、15グループ40人以上になっていた」(社会部記者)
規模が拡大するにつれ、谷口グループの触れ込みも誇大化した。
「有名で優秀な“税理士”がいる。頼めば誰でも必ずコロナ給付金がもらえる」
2020年9月、都内に住む自営業の男性は、人を介してそんな“儲け話”を勧められたという。その税理士の名が光弘だった。
男性の友人が語る。
「手数料として30%をその税理士、10%を紹介者に渡せば、残りのお金は申請者が『濡れ手で粟』だと。受給逃げされないよう、通帳を預かる手口だったようです。明らかな詐欺行為だし、調べてみると、全国に『谷口光弘』という税理士は存在しないことも判明。僕の友人は手続きの手順をすでに教わっていたが、すぐに止めさせました」
この時期には、谷口一家が関与したと思われる虚偽申請は、審査を通りにくくなっていた。同年8月の時点で、持続化給付金事務局が警視庁に相談していたのである。光弘が家族を放り出し、かつて一攫千金を夢見たインドネシアに向けて出国したのは、その2カ月後のことだった。
谷口グループの内情を知る関係者が明かす。
「給付金詐欺に関わる人数が増えてくると、手続きも杜撰になり、支給された金が申請名義人に渡らないといった金銭トラブルが続出。内部は統制が利かなくなり、収拾がつかなくなっていた。詐欺だと気付いた者や金が入らず追い詰められた者が『谷口を出せ』と騒ぎ出すと、光弘は『海外で事業を当てて、まとまった金を作ってくる』と言い残し、逃げるようにいなくなった」
国外逃亡から1年8カ月。スマトラ島ランプン州の農村部にある民家に潜伏していた光弘は、現地の警察に入管法違反の疑いで逮捕された。
「昨年4月、外務省から旅券返納命令を出されて旅券は失効。光弘はインドネシアでは不法滞在状態となっていた。現地では『水産ビジネスの投資家』を名乗って、新事業の機会をうかがっていたようです」(別の社会部記者)
光弘の身柄は、両国間の調整を済ませた後、日本に引き渡される予定だ。
source : 週刊文春