2006年秋、戦後最年少の宰相から官房副長官に指名された的場順三。20歳上の老練な参謀に、秘書間の亀裂や閣僚の不祥事など次々と難題が。さらに隠し子問題が浮上し……。
「実際に生前の安倍晋三さんにあの話を確認したのは、第二次政権が発足する少し前でした。この先の準備として、ご本人から連絡があって議員会館の安倍事務所に呼び出され、1時間半ほど2人きりで話しました。その会話の中で率直に尋ねたわけです。『これから第二次安倍内閣をつくるにあたり、私はもう齢(とし)だからお手伝いできませんけれど、ずっと引っかかってきた気がかりが1つあります。あの隠し子問題の真相は、どうだったんでしょうか』と……」
そう語るのは、元内閣官房副長官の的場順三である。今年9月15日で満89歳になる。京都大学経済学部を卒業後、旧大蔵省に入省。主計局次長を務めるなど、一時は事務方トップの事務次官コースに乗った。が、本省の次官になれず、もっぱら首相官邸の要として働く。今風にいえば官邸官僚だ。
中曽根康弘内閣の1985年7月には、次官級の内閣官房内閣審議室長(内閣内政審議室長)に抜擢され、2006年9月の第一次安倍晋三内閣の発足に伴い、20も歳下の安倍に請われて官房副長官に就任した。
官房副長官には衆参両院の国会議員が務める政務担当と中央官庁出身の事務担当がいる。どちらも官邸の中枢を担い、首相や官房長官を支える。今話題の木原誠二は岸田文雄内閣の政務の副長官だ。一方、事務担当の官房副長官は霞が関の最高ポストに位置づけられ、第二次安倍政権では、杉田和博がこの任を担い、内外のインテリジェンスを操ってきた。官邸の裏と表を知り尽す、文字通り首相の参謀といえる。
的場は07年9月の第一次安倍政権の崩壊とともに官邸を去った。なぜ今になってこのような秘話を明かすのか。本人はこう言った。
「実は安倍家を遡ると、平安時代の陰陽師、安倍晴明や奥州前9年の役の時代から続く1000年の歴史があります。しかし昨年安倍総理が亡くなった結果、政治の世界からその名家が途絶えてしまった。安倍家の血筋の方はいらっしゃるので、どなたかを養子にして国会議員にし、安倍家の名跡を継いでほしい、と願いますが、それも叶いそうにありません。安倍総理からは亡くなる直前まで折に触れて相談を受けてきました。このまま安倍総理のことを忘れ去られるのは辛い。なぜ第一次安倍政権は1年の短命に終わったのか、これまで言われてきたことには誤解もあるし、安倍総理の本当の姿を知ってもらいたい。そう思い、お話しすることにしました」
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source : 週刊文春 2023年9月7日号