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15歳で仕事がピタッと消え、生米をかじる壮絶な借金生活に転落 内山信二を“暗黒時代”から救った明石家さんまの一言

内山信二さんインタビュー #2

2024/05/18

genre : エンタメ, 芸能

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 7歳で出演した『あっぱれさんま大先生』をきっかけに人気子役として活躍したタレント、内山信二(42)。

 現在は2人の娘を持つ父親でもある彼に、『あっぱれさんま大先生』出演の経緯、後になってわかった明石家さんまの凄味、歩くだけで拝まれてお金を渡され、最高月収は3000万円に到達した子役時代の、自ら「嫌な子供」と語る絶頂ぶりなどについて、話を聞いた。

©松本輝一 /文藝春秋

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ーー小4で最高月収が3000万円だっただけに、家族の金銭感覚も狂っていったと。

内山信二(以下、内山) 家族で初めてハワイ旅行に行って、それこそ爆買いですよ。葛飾の下町で魚屋をやってる家で、ブランド品なんか誰も持ってなかったのに、お父さんはロレックス、お母さんはヴィトンのバッグを買って。帰ってからもヴィトンのバッグがどんどん増えていったし、お父さんもベンツに自動車電話を付けたりして「そんなのうちに必要か?」なんて思ってました。

 でもね、3900円の登録料を払ってエキストラ事務所に入れた息子が、3000万円とかもらうようになっちゃってんですからね。どうにかなりますよ。

ーー家業の魚屋のほうは。

内山 ショーケースに魚が並ばなくなりました。気づいたら、お父さんが魚を仕入れなくなってたんですよ。それまでは、明け方に市場に行ってバーッと魚を並べてたのに、寝てるようになって。

 僕が売れて忙しくなってからは、お父さんも一緒に仕事について来てたんで「まぁ、仕入れなくなるわな」とはおもっていましたけどね。僕、どこかひねくれていたというか、可愛げがなかったんで。

©松本輝一 /文藝春秋

中学生時代のデートでは銀座の寿司屋でシャネルのバッグ

ーーお父さんも『あっぱれさんま大先生』に出てましたよね。愛嬌のある方で。

内山 お父さんは「下町の勝新」って言われてたぐらい豪快な人で。最初は友達と3人で飲んでたのに、気づいたら50人ぐらいになって、全員の分を払ってたりしてたんですよ。元々、そういう気前の良い人だったうえに、僕が稼ぐようになったらもう歯止めが効かなくなっちゃってね。それで内山家は大変になっちゃうんですけど。

ーー内山さんも、中学生時代のデートでは、彼女と葛飾から銀座の寿司屋までタクシーで乗り付けて、帰りにシャネルのバッグをプレゼントしたと。中学生にしては豪快ですよね。

内山 シャネルは、前もって寿司屋に用意しておくんですよ。で、店を出るときに「ちょっと、あれ持ってきて」と言って「はい、これプレゼント」って渡して。

 中1だったのに、やってることが50のオヤジなんですよ。ただの成金オヤジ。女の子は普通のおうちの子で、バッグは返されました。タクシーで家まで送って30分もしないうちに、その子とご両親がうちに来て「これはいただけません」って。

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