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〈中2で初めてタトゥー〉全身にタトゥーを彫った男性(45)が語る、大企業の会社員だった父の反応と老後の不安「僕みたいのを介護するのは…」

「NISHIMOTO IS THE MOUTH」ディレクター・西本克利インタビュー#2

2024/06/01

genre : ライフ, 社会

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 ファッションブランド「NISHIMOTO IS THE MOUTH」のディレクターを務める西本克利(45)。

 全身タトゥーでも注目される彼に、地元である西川口での思い出、高校生からハマったドラッグ、「NISHIMOTO IS THE MOUTH」発足の経緯などについて、話を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)

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母親の影響でサブカルに興味を持つ

ーー無地だった頃のお話も聞かせてください。生まれは、どちらに。

西本克利(以下、西本) 埼玉ですね。西川口と蕨の間ぐらいに家があって、どっちの駅も最寄りって感じで使ってました。

西本克利

ーーお父さんは、勤め人でしたか?

西本 大企業の社員ですね。勤続何十年とかいう賞状が部屋に貼ってありました。母親とのほうがコミュニケーションは多かったので、あんま詳しくないんですけど。

ーーお母さんは、どんな方ですか。

西本 専業主婦です。働くのが好きな人だったので、たまにパートに出たりしてました。中間層の家庭って感じでしたけど、その母親がちょっと変わっていて、レンタルビデオ屋に行くとスプラッターを借りてくるんですよ。だから、普通に『ギニーピッグ』とかが流れているような家でしたね。

ーー『ギニーピッグ』って、ひたすら女性を解体するシリーズですよね。

西本 母親が見てたのは『ギニーピッグ3 戦慄! 死なない男』(1986年)とか『ギニーピッグ4 ピーターの悪魔の女医さん』(1986)とか、久本(雅美)さんや柴田(理恵)さんが出てたやつ。普通に「コロコロコミック」や「コミックボンボン」を読んでるような小学生だったんですけど、わりとそういったグロテスクなものは小学生ぐらいの頃から目に付いていたのかなというか。

 で、怖いもの見たさもあって見るようになって、サブカルにも興味を持つようになって。中学生になってからはジャスコの本屋に行っては、「BURST」なんかの雑誌を読むようになってという感じです。

 

地元の先輩にパーティーに連れてってもらい…

ーー80年代、90年代の西川口って。

西本 結構荒れていましたね。その時代は、プッシャー(売人)が公園にいっぱいいたりして。

ーーYouTubeの某チャンネルに出演した際に、「中学生の時、チャリンコに乗ってたら顔面にレンガを投げつけられた」と話してましたけど。

西本 そうです。そんな感じの街だから、14歳ぐらいでわりといろんなことを経験してましたね。

ーーでは、中学あたりからグレるように?

西本 ヤンキーはダサいと思ってたので、そっち系には行かなかったですね。ファッション寄りのグレるほうというか。地元の先輩でパーティーやってるみたいな人たちがいて、暴走族上がりなんだけど、ファッションも音楽も好き、みたいな。で、パーティーとか連れてってもらうようになって、いろんなことを学んでいった感じですね。

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