1990年代、ミリオンセラーになった『DA.YO.NE』で一世を風靡したラッパーのGAKU-MC(53)。2013年には、Mr.Childrenの桜井和寿と「ウカスカジー」というユニットを組み、日本サッカー協会公認サッカー日本代表応援ソングになった『勝利の笑みを 君と』を翌年リリースするなど、精力的に活動をつづける。桜井和寿とは13年、音楽とフットボールを融合していろんなコミュニケーションを実現していくプロジェクト「MIFA(Music Interact Football for All)」も立ち上げた。
そんなGAKU-MCがラップに傾倒していったのは、高校1年生のころ。サッカー部だったが、レギュラーポジションを取れず、「ここは俺の居場所じゃない」と部活をやめた。ぽっかりと空いた胸の隙間を埋めてくれたのが、ラップだった。(全3回の1回目/2回目に続く)
◆◆◆
デビュー1年目の年収は32万円
――サッカー部をやめた後、なぜラップにハマったのでしょうか。
GAKU-MC(以下、GAKU) 最初はブレイクダンスにハマったんです。ちょうどブームで、世の中を席巻し始めた頃でした。ダンス中にバックで流れていたラップを聞いた時、自分にハマった感じがしたんです。当時、日本ではヒップホップがそれほど浸透していなかったんですが、僕はそこからラップに一直線でした。
――デビューしたのは、いつごろだったのですか。
GAKU 大学の時です。当時は、外国人用のアパートにルームメイトと一緒に住んでいました。僕自身もアフロにして、日焼けして、格好から入ったんですけど、ラップをしていると、「お前のラップ意味わかんねー」と言われて。
92年に「EAST END」でCDデビューして、デビューライブでは英語のラップを一生懸命に覚えて披露したんです。でもあまりの緊張に2番の歌詞を忘れて、1番の歌詞をもう1回歌ったけど、お客さんは誰も気づいていないし、「何を言っているか分からない」って言われて(苦笑)。自分たちの音楽を聴いてもらいたい、という気持ちは強かったんですけど、まったく売れませんでした。
デビュー1年目の年収は32万円。ラップで食っていけるなんて、まったく思えなかった。大学を卒業したら、新聞記者とかジャーナリストになろうと思っていました。