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 そういう時期に、友人だと思っていた人たちから誹謗中傷やダメ出しを受けたりもして。SNSがない時代でしたが、リアルにダメージを受けましたし、僕自身、方向性を見失って、すごく苦しくて、つらい時期でした。

自伝的小説を書く中で見えてきた方向性

――音楽をやめようと考えることもあったのでしょうか。

GAKU やめるというよりは、ラップから1回離れてみようと思いました。

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 ラップから離れたGAKUは、知人の勧めで自伝的小説を書くことになった。毎日、自分と向き合い、1年以上かけて、『僕は僕で誰かじゃない』(新潮社)という1冊を完成させた。

――本を書いている間に、自分の方向性が見えてきたのでしょうか。

GAKU まさにそうです。本の内容に対して「いいね」って言われると、嬉しいんだけど、自分の中で熱みたいなものが込み上げてこないんですよ。でも、ライブでラップをしていると、すごい熱量が湧き上がってくる。やっぱりステージっていいなって思いましたし、自分がいるべき場所だなとも思いました。

 そして、自分が書いた小説にテーマソングを付けたらどうなるのかと思って作ったのが、僕のソロデビュー曲『僕は僕で誰かじゃない』だったんです。本はすごく売れたわけじゃないんですけど、書くことで自分の内面が整理されて、自分が好きなもの、進むべき道が見えてきました。

 

北海道でのMr.Childrenとの運命的な出会い

 99年にソロデビューを果たし、2001年まで7枚のシングルをリリースしたが、『DA.YO.NE』を超えるヒットには恵まれなかった。だが、地道に活動を続ける中、『DA.YO.NE』のヒットに火をつけた北海道で、GAKUは運命的な出会いを果たす。

――2001年、北海道のラジオ局で、どういう出会いがあったのでしょうか。

GAKU FMノースウェーブというラジオ局でレギュラー番組をしていたんですが、そこにMr.Childrenが来てると聞いて、ロビーで挨拶させてもらったんです。桜井(和寿)がサッカー好きでプレーしているのは知っていたので、「僕もサッカーしているので、今度一緒にやりませんか」と話をしました。

 それからすぐ、明治神宮外苑のフットサル場で、ミスチル対GAKU-MCチームで試合をして。すごく楽しかった。そこからですね、桜井と一緒にサッカーをやるようになり、交流を深めていったのは。