2018年5月16日、西城秀樹が急性心不全のため横浜市内の病院で死去した、という緊急ニュースが流れた。63歳だった。(全3回の1回目/#2に続く

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あまりにも「早い」と思った訃報

 昭和を代表するスターの訃報。SNSには、悲しさとともに、想像した以上の喪失感を覚えるコメントがいくつも挙がった。芸能界にも衝撃が走り、西城秀樹と新御三家の仲間で、親友だった歌手・野口五郎の「気持ちの整理がつかない」という言葉が、そのときの混乱を一番表している。

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西城秀樹 ©文藝春秋

 しかし、西城秀樹は3回の脳梗塞を患い、リハビリの様子など、闘病の様子をカメラの前にさらけ出していた。特に3度目の脳梗塞を発症した2011年末は、後遺症で右半身が思うように動かない、つらい様子もニュースで流れていた。それでも、この訃報はやはりあまりにも早すぎ、あまりにも突然に思えた。そして、彼がヒット曲を歌う映像がニュースで次々と流れ、改めてそのすばらしさに驚き、多くの人がこう悔やんだのであった。

「なぜ、彼が生きている間に、もっと聴かなかったのだろう」――。

 5月26日青山葬儀所で行われた葬儀には、実に1万人を超えるファンが集まり、一時は、その列が青山一丁目駅まで延びるほどだった。そして自然と「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の大合唱が響き、出棺の際は「ヒデキ! ヒデキ!」とヒデキコールが起こったのである。

 最初の脳梗塞から17年。昭和の「青春」そのものだった彼が残したのは、多くのヒット曲だけでなく、生きることをあきらめず、闘う勇気だった。

「絶唱系」と言われた新たなアイドル

 西城秀樹は1972年「恋する季節」でデビュー。5枚目のシングル「情熱の嵐」が大ヒットとなり、一躍スターダムにのし上がった。これまでの歌手にない、愛を叫ぶような激しい歌唱法とアクションは「絶唱系」と呼ばれ、新たなアイドルのポジションを作り、そのステージに、日本中の女性たちが黄色い悲鳴を上げたのである。

 70年代は「ブーメランストリート」「ブルースカイブルー」「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」など立て続けにヒットを飛ばし、1983年、事務所から独立。「ギャランドゥ」や「抱きしめてジルバ」など、大人の色気漂う実力派シンガーとして安定した人気を保ち続ける。

 1991年にはアニメ「ちびまるこちゃん」(フジテレビ系)の主題歌「走れ正直者」が大ヒット。さらに1999年にはアニメ「∀ガンダム」(同前)のオープニング・テーマ「ターンAターン」を歌い、若い層からの支持も広がっていた。