中央線が止まっていて、朝の通勤時間が地獄でした。

 大都会東京、暮らしの生命線そのものである中央線が止まって、振替輸送で何とかしのごうとする、しかし大正義・中央線の代替など丸ノ内線や新宿線が引き受けられるほどの余裕はなく、敢えなく力尽き陥落。

 駅では通勤客が溢れ返り、改札前にはホームにすら降りられない面々が葬送の長蛇の列を作る。構内では受験に間に合わない若者たちから放たれる殺意が充満し、日本の通勤事情など知らぬインバウンドな海外の皆様はでかいスーツケースや泣く子どもを載せたベビーカーを手に立ち往生しています。

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血流の止まった青ざめる都会の姿

 いやまあ、しょうがないんですよね。ケーブル火災だそうで。ちょうど朝、新宿に用事があって出かけてみたら、私も見事に巻き込まれたんですけど、車で行けばよかったという反省も同じ会議で同席するはずだった取引先ご担当が「渋滞に引っかかって来られないそうです」との連絡が入り、ああ、これが血流の止まった青ざめる都会の姿そのものだ、と思ったわけです。

 週末には、湾岸方面で大停電があって、自家発電して動くはずのエレベーターが止まったタワマン民が高層階まで階段で登る余裕もなく近隣のホテルを確保する姿が見られ、振り返ると雪が降っては電車が遅れ、クソバイオ株が暴落しては絶望した投資家がややこしいことをしでかすし、終電では泥酔客の皆さんによるゲロがぶちまけられ、とにかくJR東日本や東京電力を含めインフラ各社の皆さんの奮励には頭が下がる思いです。あなたがたが悪いんじゃないよ、この都会の雑踏を維持しているあなたがたが本当のプロなんだ。感謝しかない。たまに止まったからって、駅員に気の短いクソ客が文句を垂れているのがおかしい。そう思います。

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都会生活を投げ出したくなる日常

 そういう都会で暮らしていると、密集した人たちが集まっているからこそ便利で楽しく安全で文化的な社会が築けている、そういう社会の一部に私たちが存在しているのだ、ということを忘れて、凄くストレスを感じることはあるんですよね。

 都会生活を投げだしたくなる気持ちは分かる。満員電車でヒール女に足を踏まれるとか、長蛇の列ができているのにエスカレーターの片側を無駄に開けている通勤客とか、喫煙禁止の駅前で歩きたばこをする阿呆とか、立ち止まっている私に歩きスマホしながら猛然とぶつかってくる周り見てない系女子とか、新調したばかりの靴を居酒屋の小上がりで他の客に間違って履いて帰られたりとか、都会では顔も知らぬ他人によるムカつく事例がたくさんあります。