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常に「引退」の2文字と向き合って……イチロー“引き際”までの胸の内

2019/03/29
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昨年オフの「泰然」と「覚悟」

 契約が決まらなかった昨年オフ、キャンプイン後の3月にマリナーズと契約した際には、あふれ出す喜びと感謝の気持ちを、余すことなく言葉に変えた。交渉経過を「泰然」と待ち続けた一方で、覚悟もしていた。「最後は山で、自分なりに訓練を重ねてきた神戸でひっそりと終わるかなと想像していたので。夢ですよ、これは」と振り返ったのは、まさに本心だった。

©文藝春秋

 昨年5月、選手登録から外れ、「会長付特別補佐」の肩書を得た時点で、日本で引退のシナリオは見え始めていた。無論、何が起こるかは分からず、その後もプレーする可能性は残された。マリナーズのジェリー・ディポトGMは「扉は閉ざされていない」と話し、イチローも望みを持ち続けた。だが、新打法で臨んだオープン戦では結果が伴わなかった。凡打だけでなく、三振を重ねた。

着々と進めていた引き際への心の準備

 迎えた3月10日。2打数2三振に終わった試合後、イチローはキャンプ地ピオリアのクラブハウス2階へ向かった。ディポトGMに、重大な決意を伝えた。

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 そこから、「日本で引退」へのレッドカーペットが敷かれた。

©文藝春秋

「最低50までとは思っていたし、それはかなわずに、有言不実行の男になってしまった。だから言葉にして、表現することは目標に近づく1つの方法ではないかなと思いました」

 周囲のファンにとっては、ショッキングだったかもしれない。

 だが、プロ野球選手として決して準備を怠らないイチローは、長い時間をかけて自らの引き際への心の準備も着々と進めていた。

 だからこそ、涙もなかった。

「いやあ、長い時間ありがとうございました。眠いでしょ、皆さんも。ねぇ。じゃあ、そろそろ帰りますかね」

 83分間に及ぶ会見を笑顔で締め括って、イチローは鈴木一朗へ戻っていった。

時おり笑顔を見せた記者会見 ©文藝春秋
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