山口組三代目組長・田岡一雄が銃撃され、九死に一生を得た昭和53年の“ベラミ事件”。その時現場では何が起きていたのか――。ここでは『山口組のキッシンジャーと呼ばれた男 黒澤明 その激動の生涯』(徳間書店)より一部抜粋。当事者たちの言葉と共に、事件の真相を振り返る。(全2回の後編/前編を読む)

写真はイメージです ©AFLO

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「パーン!」「パーン!」田岡一雄を狙った“2発の銃弾”

 日本橋事件から1年9カ月後の昭和53年7月11日に勃発した同事件こそ“大阪戦争(第3次)”の新たな幕明けとなったのである。

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 大事件の舞台となったのは、京都・東山区三条大橋東詰の側にあるナイトクラブ「ベラミ」で、三代目山口組組長田岡一雄が京都を訪れた際にはよく利用するお気に入りの店だった。

 この日、田岡が側近幹部の細田利明、弘田武志、仲田喜志登、羽根恒夫という4人の直系組長を従え、京都を訪ねたのは、太秦の東映京都撮影所の火事見舞いのためであった。

 その帰途、田岡一行が「ベラミ」に入店したのは夜8時頃、折から雷鳴が轟く悪天候のせいもあってか、200人収容の客席もまばらで70名ほどの入りだった。

 一行が落ち着いたのは、ステージから2列目のボックス席で、ステージでは外国人ダンサーによるリンボーダンスショーが行われていた。

 ショーに目を向け、ホステスと歓談しながらくつろぐ田岡に、突如凶変が生じたのは約1時間半後、9時25分頃のことである。

 2列後ろのボックス席にいた若い男が、田岡の背後約4メートルの至近距離に駆け寄るや、手にした拳銃を拝み撃ちに構えたのだ。

 直後、「パーン!」「パーン!」とあがる2発の銃声。男が放った最初の銃弾は、三代目の後部右首筋をえぐって左首筋に抜け、隣席の中年医師の下腹部に命中。あとの1発は田岡の顎のあたりをかすめ、同じ隣席の初老の医師の右肩に食い込んでいた。

「親分!」

 撃たれた田岡のもとに、顔色を失くした弘田、仲田の両組長が駆け寄ると、

「ワシは大丈夫や。それよりあの(巻き添えの)おふたりを、早く病院へ」 と、ハンカチで首を押さえながら、三代目は隣席で倒れている2人を指差し、冷静に指示を出した。ハンカチは血で染まっていた。

昭和53年7月、京都の高級ナイトクラブ「ベラミ」で襲撃された時の田岡一雄組長 ©文藝春秋

弾丸は首筋を貫通していた

 あとの2人、細田と羽根も血相を変え、「どけ! どけ!」と叫びながら逃走する銃撃犯を必死に追って、店を飛び出した。が、男の逃げ足は速く、たちまち見失ってしまう。

 現場には通報を受けた京都府警のパトカーや警官が続々集まるなか、田岡は弘田、仲田とともにキャデラックに乗り込み、名神高速道路を尼崎の関西労災病院に向けて直行。