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連載『めちゃイケ』、その青春の光と影

「ブスをビジネスにする――光浦靖子は発明をした」『めちゃイケ』片岡飛鳥の回想

フジテレビ・片岡飛鳥 独占ロングインタビュー#6

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20年前もフジテレビでは「コントは視聴率が取れない」と言われていた

<ユニットコント番組は『オレたちひょうきん族』(1981年)から続くフジテレビのお家芸だった(→#3)。その後も有望な若手芸人たちを集めた『夢で逢えたら』(88年)や『とぶくすり』(93年)、『はねるのトびら』(01年)、『ピカルの定理』(10年)などに継承されていく。一時期、フジテレビのユニットコント番組に出ることは、スターの階段を登り始めることと同義だった。そしてそれは演者と共に走ることになる若手ディレクターにとっても同じだ。>

『ひょうきん族』から『夢で逢えたら』などをずっと見てきて、やっぱりコントというものがプロのお笑いの根幹には不可欠で、ディレクターや演者の基礎体力を作るものだと思って育ったんです。だから『とぶくすり』が始まったときも、当たり前のようにコント番組として立ち上げた。これはあくまでもディレクター的な感覚なんですけど、コントやネタで演者と対等に向き合わないと、本当の意味では口をきけないと思うんですよ。演者にとってネタは命がけ。そこで一緒になって悩む経験を積めば、共通言語や信頼関係も構築しやすい。

深夜2時15分から、30分間の“チャレンジ枠”だった『とぶくすり』。片岡が『新しい波』で発掘した、ナイナイ、よゐこ、極楽とんぼに光浦靖子と本田みずほが加入。8人の平均年齢はわずか21.6歳だった ©フジテレビ

 よく今はコント番組を作るのは難しいって言いますけど、フジテレビに限って言えばそれは10年前も20年前も一緒ですよ。「コント、面白いね」とか「芸人育てるの大事だね」なんてことは実は今も昔も言われてない。いつの時代だってフジテレビの中にも「コントをやっても視聴率が取れない」「コントなんか、もういいんじゃないの?」と言う人たちは大勢いた。それを「いや、そんなことないんだ」という強い思いで振り切ってやるしかなくて。

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 社内の顔色なんかまったく窺わない1本のコントができて、そのコントが連なってそのうち番組になって、その番組が時間をかけながら人気番組になって、気づけばそんな人気番組がいくつか束ねられて『27時間テレビ』になってって……。

 川が徐々に大きくなって流れていくみたいな感じでフジテレビのバラエティの歴史はつながってきたんだと思います。小松(純也 ※2)の頑張りで大ヒットしたけど昔の『笑う犬』だって始める前からずっと「コント冬の時代」って言われてましたから。それでも一滴のコントを作ろうとしただけ。時代とは真逆のことを世にぶつける覚悟というか確信というか、うん、それが大切で。

卒業アルバム(→#1)のトップにある最古の写真。片岡によれば「1993年に早稲田の学祭に出た日で、マネージャーもついていないころのスタッフとの集合写真」。その後の『めちゃイケ』への実に25年間にわたる歴史を見れば、『とぶくすり』の1本のコントはまさに「大河の一滴」だった ©フジテレビ

『ピカルの定理』なんて2度と集められないメンバー

 最近の話ですけど、2016年に『新しい波24』(→#5)というのをやって、若いディレクターたちが集めたメンバーに、その後『M-1』を獲った霜降り明星や『キングオブコント』を獲ったハナコがいた。これってスゴいことですよ。ウチの若手ディレクターたちの目は間違ってなかったんだから。だけど2年半経った今、フジテレビが霜降り明星やハナコの番組を持っているかと言ったら、持てていない。出会いは誰よりも早かったはずなのに。その史実みたいなことはちゃんと受け止めながら明日のフジテレビを作っていかないといけない。

 余談ですけどもう終わってしまった『ピカルの定理』なんてもはや2度と集められないメンバーですよね? 綾部くん(ピース)、澤部くん(ハライチ)、吉村くん(平成ノブシコブシ)始め、今や世界のナオミ・ワタナベに芥川賞・又吉先生(笑)。そこに千鳥までいたんですよ。岩井くん(ハライチ)や徳井くん(平成ノブシコブシ)やモンスターエンジンもみんな抜群に面白い。穴がない。

 もしも彼らが今もフジテレビで1つの番組を作っていたらと思うと……どうですか? 少なくとも綾部くんはニューヨークには行ってない(笑)。