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愛と憎しみの甲子園――日本人はなぜ、これほどまでに高校野球が好きなのか

文春野球甲子園 2019

2019/08/07
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【出場者プロフィール】菊地選手(きくちせんしゅ) 東京都代表 雑誌『野球小僧』『野球太郎』編集者を経てフリーのライターに。あるある本の元祖『野球部あるある』(全3巻/集英社)の著者。近著に『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)がある。

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 甲子園の季節が巡ってくるたびに、私は金太郎飴を切るような錯覚に襲われる。

 きっと地元出身者が少ないチームは「ガイジン部隊」と揶揄されるのだろうし、女子マネージャーは3年間で握ったおにぎりの個数を記者に聞かれるのだろう。朝日新聞は「感動の押し売り」と批判され、「高野連は滅びるべき」と極端な改革論をぶつ人が出現し、バックネット裏席には毎日ラガーシャツと黄色い蛍光帽をまとった中年男性が座るのだろう。

 それを「風物詩」ととるか、「旧弊」ととるかで高校野球の楽しみ方はまったく変わってくる。

©getty

灼熱の甲子園の日なたで観戦した人ならきっと理解してもらえる

 日本人はなぜ、これほどまでに高校野球を愛するのだろうか――。ずっと不思議で仕方がなかった。

 私は10年以上にわたって、さまざまな高校野球ファンの話を聞いてきた。多くの人は高校野球の魅力を「負けたら終わりの戦いが面白い」と言った。だが、負けたら終わりなのは高校野球だけではない。社会人野球の都市対抗予選だって「負けたら終わり」のヒリついた雰囲気があるが、高校野球ほどの人気は獲得していない。

 そして高校野球ファンは、厳格な野球観を持っている人が多い。スタンドからゲームの流れを敏感に読み取り、監督の采配ミスを手厳しく批評する。普通に考えれば、高度な野球を見たいならプロ野球を見ればいいのだ。それでも、人は高校野球を見る。

 そして、酷暑の甲子園球場に通うたびに私は疑問を深めた。「ここで試合をじっくりと堪能できる人など、どれくらいいるのだろうか?」と。

 銀傘下の日陰になる席なら、多少暑くても試合に集中できる。だが、猛暑日の日なたの席に座ると、もはや「スポーツを楽しむ」という次元ではなくなる。グラウンドで熱戦が繰り広げられていても、直射日光が降り注ぐスタンドでは半死半生の観衆がうつろな目をしている。自分が野球を見にきたのか、苦行を積みにきたのかわからなくなる。

「こんな暑いなかでプレーする選手たちはすごいなぁ……」と思ってしまうが、実は甲子園球児が攻撃中に過ごすベンチは冷房が効いており、スポーツドリンクも完備されていることはあまり知られていない。甲子園でもっとも過酷な思いをしているのは、日なた観戦者なのではないかとさえ思う。試合中のコンコースには、巨大なクーラーの前にオアシスを求めてたどり着いた避難民であふれ返っている。

 常識的に考えれば、こんな環境で野球をプレーするのも、観戦するのも狂気の沙汰なのかもしれない。しかし、これだけ異常な空間が長きにわたって愛され、いまだに早朝から入場券を求めて長蛇の列を作るのは何か理由があるに違いない。

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