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文春野球コラム

2005年、ほぼ日「おらが夏の甲子園」が教えてくれた高校野球の楽しみ方

文春野球甲子園 2019

2019/08/07
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※「文春野球甲子園2019」開催中。文春野球のレギュラー執筆者、プロの野球ライター、公募で選ばれた書き手が、高校野球にまつわるコラムで争います。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】井上幸太(いのうえ・こうた) 島根県代表 島根出身のライター。自分自身は1991年生まれの菊池雄星世代。この夏の甲子園でも、ライフワークである野球道具ウォッチングに興じるつもりでいる。甲子園カレーはトッピングなしのノーマルで食べたい派。

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 高校野球ファンの心のなかには、それぞれの「思い出の夏」が眠っている……、と思っている。

 それは、自分と同い年の選手たちが戦っている夏かもしれないし、かっこいい「野球のお兄ちゃん」たちの躍動に魅了された少年時代に見た夏かもしれない。はたまた社会人になり、営業の途中に立ち寄った喫茶店で、アイスコーヒーを流し込みながら楽しんだ夏なのかもしれない。

「一番おもしろいのはKKの夏(1985年)だね」
「いーや、1998年の松坂世代の夏でしょう」
「おいおい、ハンカチ世代の夏(2006年)もあるじゃないか」

「高校野球史上最高におもしろい夏」を高校野球ファンで議論しようものなら、はっきり言って収集がつかなくなる。極論、答えがないからだ。しかし、自身のなかで燦然と輝き続ける忘れられない夏、「思い出の夏」には明確な正解はない。自分にとって印象深かければ、それはもうその時点で「正しい」のだ。

「あなたにとっての『思い出の夏』はなんですか?」

 この質問に自分は、2005年の夏、第87回大会と答えると思う。2年生の田中将大(ヤンキース)が背番号11で奮闘し、南北海道代表の駒大苫小牧が高校野球史上6校目、57年ぶりとなる夏の甲子園連覇を達成した大会だ。

駒大苫小牧の田中将大 ©時事通信社

なぜ2005年の夏が印象深いのか

 偉業が生まれた年だが、その駒大苫小牧が北海道勢初の全国制覇を果たした2004年、決勝再試合にまでもつれ込む激闘が繰り広げられた2006年に挟まれているため、今ひとつこの大会の印象が薄いという人も少なくないのではなかろうか。

 ひとつ前置きしておくと、筆者はこの年に高校3年だったわけではない。では、なぜこの夏が印象深いのか。それは、ある企画の存在が大きく影響している。

 2005年7月、『ほぼ日刊イトイ新聞』で、ひとつの企画がスタートした。その名も「おらが夏の甲子園」。自分の出身地、在住地の代表校の情報を持ち寄り、夏の甲子園を読者一体となって楽しもうという企画。結論から言うと、この『おら夏』を片手に見た夏がめちゃくちゃおもしろかったのだ。

「思えば、お国自慢の祭典じゃないか!」の副題がついており、各都道府県に所縁のある人たちからメールで情報が届き、サイト上で紹介されていくスタイル。代表校の特徴、注目選手についての紹介などももちろんあったのだが、少し“脱線”した話がとにかく魅力的だった。

「〇〇高の監督は高校時代モテモテで、ウチの妻も惚れていた」
「××高の帽子のロゴマークをデザインしたのは私の旦那です」
「学校の近くにある『パチンコ大学』に進学するという冗談を言うのがはやっていた」(※パチンコ大学……その地域一帯でチェーン展開しているパチンコ店)
「△△選手は近所の息子さんで、お母さんはいつも甘い煮つけをくれます」

 などなど瑞々しいまでのディープな情報が溢れていたのだ。今思うとどこまで信憑性があるのだろう……と感じる話もあったが、自分にとって未知の地域に関する知識を手に入れたことで、特段関わりのない都道府県や選手に対して、得も言われぬ親近感を感じていた。

 田中将大の渾身のガッツポーズとともに2005年の『おら夏』は終わりを告げた。翌年も企画されるといいな……と淡い期待を抱いていたが、実現せず。現在に至るまで、これが最初で最後の『おら夏』となっている。

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