引き続き「司令官役者」としての三船敏郎の話だ。ラストとなる今回は、『日本のいちばん長い日』を取り上げる。
太平洋戦争はいかにして終結したのか。その様子が刻一刻と時間を追う形で描かれる。
本作で三船が演じたのは阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣である。多視点で描かれた群像劇における、主人公の一人でもある。
本作を撮った岡本喜八監督は阿南の位置づけを《忠臣蔵における吉良上野介と大石内蔵助の両面をもったキャラクター》としている。
物語前半は、ポツダム宣言受諾の可否、および受諾後の昭和天皇による終戦の詔書の内容をめぐる閣議が描かれる。ここで阿南は当初、頑なに無条件降伏に反対、本土決戦を唱える。受諾後も詔書の文言に「敗戦」感が強く出ないものにするよう要求、米内海軍大臣(山村聰)の説得にも応じない。閣議での物語上のポジションは完全に悪役、まさに吉良になっているのである。
が、段々とその裏側にある真意が見えてくる。実は阿南も本心から戦争続行を望んでいるわけではなかった。
状況を知らずいまだに前線で苦しい戦いを続けている兵たちが終戦を告げる天皇の言葉を聞いた時にどう思うか。惨めな想いをして士気が下がってしまっては、日本に戻ることができなくなる。そのことを心配していた。だからこそ、文言に細部にまでこだわったのだ。同時に、自分が降伏に反対する姿を見せることで、陸軍内に少なからずいる徹底抗戦を唱える勢力の暴発を抑えるという意図もあった。
自身が悪名を被ってでも、本心を隠して事を収めようとする。その腹芸ぶりは、まさに大石。決起しない・させない——そんな理想的な大石だ。
そして三船は、岡本監督の狙い以上の芝居をもって、この「一人忠臣蔵」といえる難役を演じてのけている。
前半の、自らの主張を決して譲らない頑迷な様は、まるで巨大な壁。米内がこれを動かすのは不可能ではないかと思わせるものがあり、その苛立ちが作品全体に緊迫感をもたらしている。
それが後半になると一転する。「若い軍人をなんとか生き残れるようにしてもらいたいものだな」と兵たちの戦後の暮らしを気遣う際に見せる、温かみ溢れる口跡、これまでのことを鈴木首相(笠智衆)に詫びる場面の穏やかな表情——前半との見事なギャップが感動を誘う。だからこそ、「生き残った人々が二度とこのような惨めな日を迎えないような日本に」と後を託す言葉の重さ、そして敗戦の責任を一身に負って自害する場面の壮絶さ——いずれも、尋常ならざるものになった。
とてつもない役者である。