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《ラグビー秘話》「ナンバー8」姫野はなぜ母校に通い続けるのか 高校恩師への感涙メール

source : 週刊文春デジタル

genre : エンタメ, スポーツ

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「姫野が中学2年の時から、『スゴい奴がいる』と噂になっていましたから、彼の存在は知っていました。中学3年になって、私もどこかのタイミングでスカウトしたいと思っていた。それで彼の試合を観に行ったら、姫野のほうから私を見つけて、『春日丘の先生ですよね? 僕、春日丘でラグビーしたいんです』と言ってきた。今でも鮮明に覚えています。

 当時の春日丘は実力はありましたが、花園(全国高校ラグビー大会)には一度も行ったことがありませんでした。それでも春日丘の、徹底して人がいない所にボールを回すラグビースタイルに憧れていたようで、入学することになったんです」

高校時代の姫野(前列左から2番目、卒業アルバムより) ©文藝春秋

 姫野は、高校入学するとすぐに頭角を現した。

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「姫野の魅力は1人で3~4人分に匹敵するパワーがあって、運動量とインパクトがズバ抜けていること。姫野みたいな選手がチームにいると、相手は左右のタックルに加えて、その後ろにディフェンスも必要になり、相手は3人掛がかりになる。その時点でオーバーラップが起きて、フリーになる選手が生まれるんです。それまでも能力的に高い生徒はいましたが、190センチ近い体と高い身体能力を兼ね備えた選手は見たことありません。姫野は1年生の5月から試合に出場させました」

5人抜きする高校時代の姫野(中央) ©清水良枝

姫野を育てた「あの敗北」

“姫野効果”はすぐ現れた。姫野が入学した2010年の冬には、春日丘は念願だった花園出場を勝ち取った。以来、同校は花園の常連校として昨年まで6年連続8回出場しているが、ただ1回だけ花園を逃した年があった。

高校時代の姫野(卒業アルバムより) ©文藝春秋

「姫野が高校3年生のときに県大会の準決勝で負けてしまったんです。彼は根っからの負けず嫌いだから、そのときは腸が煮えくり返るくらいのしんどさだったと思います。時々、あの時のことを考えるんです。成功は失敗という言葉がないと生まれないですよね。あいつも数々の悔しい負けがあったでしょうが、負けが成功へのアプローチに繋がる。負けや失敗は大事。私は高校時代のあの敗北が、その後の姫野の躍動に繋がったのではないかと思っているんです」