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連載昭和の35大事件

関東軍に翻弄され続けた満州国“ラストエンペラー”・溥儀の数奇な運命とは

満州国の皇帝となった男の生涯

2019/11/03

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治

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柳行李の中に身を隠して……

 毎週2、3度溥儀氏夫妻の洗濯物を、英租界の生父醇親王邸に自動車で届ける習慣になっていた。

 洗濯物は、日本製の大型柳行李に入れて運ぶ事になっていた。当夜溥儀氏は密かにこの柳行李の中に身を隠し、運転手以外には人気のない自動車、探偵小説を地で行く様な自動車に乗って邸の門をぬけ、暗黒の森閑とした人通りのない町を数町走って、日本租界内の料亭敷島の前でとまった。行李は自動車から下され、奥の一間に運ばれた。

©iStock.com

 溥儀氏はそこで、日本の陸軍少佐の軍服に着換えて、誰の目にも立派な青年将校となり、日本租界の岸に待機中の軍用汽艇に乗り込み、軍の通訳と若い将校が護衛して太沽迄下航し、太沽から11日未明に大連汽船会社の淡路丸に乗り替えて、渤海湾を横断して満洲の門口営口に直航したのである。

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 12日営口に土陸した溥儀氏の一行は営口から予て関東軍を通じて、満鉄で用意した特別列車で、先ず湯崗子温泉に落ちつき、数日間滞在して、紫金城脱出以来廿余年間に積った心身の垢を洗い落した後、旭日昇天の気持で旅順に移りヤマトホテルに投じた。

 溥儀氏の天津脱出後、土肥原一派は其の姿を消し、鄭孝胥始め側近の人々も陸海何れかの途に依って陸続満洲に赴いた。

 皇后は溥儀氏の脱出について事後に初めて実情を知り、渡満の期を待ちわびて居られたが満洲から出迎えの為め川島芳子を天津に送り外に駐屯軍吉田通訳官夫人が附添い、溥儀氏と同じく白河を下り、太沽より海路大連に渡り旅順にある夫君の許に落ち付いたのは約2カ月後であった。

数奇な運命に魅入られた満洲皇帝溥儀のゆくえ

 溥儀氏が旅順ヤマトホテルに入るや、奉天派の蔵式毅、吉林の満人有力者煕洽等の有力満人は勿論関東軍も亦武藤軍司令官始め首脳者達は相次いで溥儀氏を訪うて、安着を祝し、寄々今後の措置に付き協議を始めた。

 ところが溥儀氏の満洲国に於ける地位について俄然問題が起った。

新京に向かう溥儀(東京朝日新聞)

 溥儀氏としては20余年の閑居生活を送ったとはいえ、かつては四百余州の帝王として4億の民衆に君臨した面子もあり、当然満洲国皇帝として迎えらるるものと信じ、又それ丈けの矜恃を持っていた。一方関東軍としては溥儀氏の心情には同調し又満洲国の元首としては当時溥儀氏以外に適任者を見出し得ない事は勿論承知の上種々工作して満洲に引き出したが、溥儀氏が果して、3000余万の満人及び居住外国人特に日本人に帝王として受け入れられるか、成る程大清国の皇帝ではあったがそれは10歳余りの幼帝として、全く床の間の置物同然に、実際の政治は、摂政たる父醇親王によって行われたのである。したがって溥儀氏の政治能力については全然未知数である。又他方満洲国は成立したといえ事変勃発後ようやく半歳そこそこで、道具建はなに一つ完全に出来ていない現状であり、又対外的に見ても建国の父にも比すべき日本からも未だ承認されていない。そこで先ず執政として新京に入り、建国の設備が一応出来上った上で、華々しく即位の大礼を行う事を主張した。このため、溥儀氏の新京乗り込みは容易に実現しなかったが、熟議の末、執政の期間を1年とし、その間に急ぎ諸般の準備を整え、しかるのち即位の礼を行って帝位につく事として溥儀氏の説得に努め、満人有力者の側面からの援助もあり、溥儀氏も遂に之に同意し、旅順滞在3カ月余、昭和7年3月、旅順を出て北上新京に入り執政に就任したのである。

 執政の期間は、1年と決められていたが、建国の準備に意外の時日を要し、溥儀執政が即位の大礼を行ったのは、昭和9年の初めであった。徹頭徹尾数奇の運命に魅入られた満洲皇帝溥儀は在位12年、日本の敗戦と共に満洲国は瓦解し、身はソ軍の捕虜となり、今尚シベリアに苦難の生活をおくるとか、或は既に中共の手に委ねられたとか伝えられるが、確知するに由がない。

(元ブラジル大使)

※記事の内容がわかりやすいように、一部のものについては改題しています。

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