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なぜ日本は「アンチ大麻」になったのか――“解禁”されたアメリカとの大きな違い

2019/12/02

genre : ライフ, 医療, 読書

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アサを吸う、という文化はほとんどなかった

 つまり、元々「ハイになる」という習慣すらなかったのに、アメリカと同じ扱いを迫られたというわけである。このあたりの文化ギャップに詳しい佛教大学の山本奈生(なお)准教授(文化社会学・犯罪社会学)はこう語った。

「(戦後までの)日本で愉しみのためにアサを吸う、という文化はほとんどないに等しかったんです。戦後直後も日本国内でアサを吸っていたのは、進駐軍の米兵くらいで、1950年代は、ほとんど逮捕者は出ていません」

 山本先生によると、当時のアサを扱う繊維業者や政府関係者は大麻取締法でなぜアサが「麻薬」として厳しく取り締まりの対象にされなければならないのか理解に苦しんだ。実際に日本で「大麻を吸う」というカルチャーが広がるのは1960年代以降のことだった。ビートニクの詩人たちがマリファナを作品に描き、またアメリカのヒッピー文化の影響もあって、マリファナを「吸う」という行為が日本の若者の間に限定的に広まっていったのだ。

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マリファナがテーマの記事は1970年が初めて

「ヒッピーカルチャーが入ってきた60年代の新宿で、いわゆる新宿ビートニクと呼ばれる若者が登場して、アメリカから渡ってきた米国ビートニクの友達と集まって夜な夜なジャズを聴いたりしていたわけですよ。その過程と並行して芸術界隈ではハプニングといって、裸体を展示したり公序良俗を挑発したりするような、センセーショナルなパフォーマンスが登場するようになった。その界隈で行われた全裸の舞踏会に警察がガサ入れに入ったら、タバコのようなものがいっぱい落ちていたので、それを調べてみたら大麻だったという。それが60年代後半のことです」

 大宅壮一文庫などで当時の雑誌や週刊誌を調べてみると、おもしろいことにマリファナに関する記事はほとんど出ていない。そのリストを見ながら、山本先生が続ける。

「いわゆる真正面からマリファナをテーマに取り上げたのは、1970年の平凡パンチが最初なんです。『これがマリワナの幻想世界だ』(2月16日号)を皮切りに、『マリワナ・パーティ体験ルポ これがトリップなのだ 幻想世界なのだ』(8月24日号)、『マリワナ料理はいまや常識』(8月31日号)と立て続けに特集を組んでいます。