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中川 充四郎
2017/03/02

【西武】「文化放送ライオンズナイター」制作秘話

文春野球コラム ペナントレース2017

クレーム上等!ライオンズびいきの野球中継

 最近はCS放送の普及で全試合を試合開始から終了までテレビ観戦することができますが、かつてはテレビ、ラジオは巨人戦が中心で、応援するチームの動向は途中経過での情報のみでした。そんな中、1982年に「文化放送ライオンズナイター」が始まり、私のコメンテーターとしての仕事がスタート。前年までマクドナルドの店長を務めていた人間を採用した文化放送の判断は大きな賭けだったのではないでしょうか。

黄金時代の取材風景、西武ライオンズ球場(当時) ©中川充四郎

 番組開始当初は19時~20時の放送で、相手チームの攻撃時は選手のインタビューやクイズ出題と、まるで野球バラエティー番組。解説者は置かず、実況アナと私、そしてマスコットガールの3人がマイクの前でしゃべっていました。この形式が3年続いたのち、85年から解説者を加え正統派の野球中継に「昇格」しました。

 番組タイトル通りに主語はあくまでも西武ライオンズ。なので、得点すれば大騒ぎ、失点したらトーンダウンと感情移入が激しく、同じ心理のライオンズファンにとっては心地よかったでしょう。しかし、相手チームのファンも情報を求め聴取しています。かなりの数の抗議電話があったようです。そんな時は「聴いていただかなくて結構です」と毅然とした対応を取ったとスタジオ担当者は語っていました。

 ある試合で相手チームが得点した際、外野の応援団から「文化放送、ざま~みろ!」の大合唱が聞こえ、番組の「浸透度」を実感し、ある意味うれしく思ったものです。相手チームの選手が美技を披露した時は、悔しさを込めながら「ナイスプレー!この野郎!」と特異な称賛の言葉をかけたこともありました。

 この極端な応援放送も、チームの黄金期を迎えた90年ごろから少し控えめに。「王者なので余裕を持った放送がふさわしいのでは」との理由からです。今度は、ライオンズファンから「もっと過激に!」といった内容の声が上がりました。確かに、心地よさが薄れたのはファンの正直な気持ちだったのでしょう。

番組が生み出した秋山幸二のパフォーマンス

 番組ならではのいろいろなアイデアも披露しました。黄金期のレギュラーは、二塁手が今年から西武の指揮をとる辻発彦、遊撃手が「ハチ」の愛称を持つ石毛宏典。ここで、6-4-3、4-6-3の二人が絡む併殺を、名前をもじって「ハッチャンダブル」と名付けました。

 また、ブレークしかけた秋山幸二を売り出したい球団の意向でパフォーマンス案を練りました。自主トレで抜群の運動能力を発揮していたのをヒントに、バック宙ホームインを本人に持ちかけました。シャイな性格なので受け入れられるか心配しましたが、快諾。

 ただし、相手チームの心理も考慮し、サヨナラホームランの時に限定してと、マイクで約束してくれました。ところが、86年の広島との日本シリーズ第8戦で、試合途中の同点本塁打で披露してしまう「約束破り」。この試合ではその後、勝ち越して日本一になりましたので効果的だったのですが、もし試合を落としていたら、と考えると冷や汗ものでした。結局、あのバック宙ホームインは5、6度見せてくれた覚えがあります。本塁打を放ち、三塁ベースを回る直前にヘルメットをベースコーチに投げ渡すとスタンドのファンのボルテージが上がり、ホームインで最高潮になったものでした。

バック宙ホームインで話題になったシーズンオフのファンとの交流会にて ©中川充四郎

 シーズンオフは、夕方の10分間の情報番組「ライオンズエキスプレス」を担当。練習などを取材したのち、球場内のブースで「たった一人」で放送しました。要するに、しゃべり、ディレクター、ミキサーの一人三役です。ある日のこと。松坂大輔が起用されたCMの極秘撮影が行われていて、球場の警備が厳重で部外者は立ち入り禁止。ある意味部外者ですが、生放送の時間が迫り困惑しましたが、球場長に懇願し他言無用の約束を交わし無事に放送を終えることができました。

 オフ番組の楽しい思い出は、優勝旅行とハワイ・マウイキャンプの取材でした。ただ、時差の関係で日本の放送時間は現地の夜11時。夕食時に軽くビールを飲む程度で、あとはひたすら我慢するのみ。放送終了と同時に浴びるようにお酒を飲んだのを思い出します。また、優勝旅行は選手の家族も同行するので夫人や子供たちと顔見知りになり、シーズン中の取材にも役立ちました。

 マウイキャンプでは、主力組の自主トレで本隊到着の1週間前に現地入り。午前中に練習を終え、その後はゴルフを一緒に楽しみました。でも、これが選手と親しくなれるベストの「仕事」なのです。この時のメンバーが監督に就任し、取材しやすかったことは財産にもなっています。

 2008年で番組を卒業しました。27年間でリーグ優勝16回、日本一が10回といい場面に立ち会えることができました。ただ、番組卒業後は一度も日本シリーズに出場していないのは淋しい限りです。今季の目標は「目指せ!CS進出!」と控えめに。

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※「文春野球コラム ペナントレース2017」実施中。この企画は、12人の執筆者がひいきの球団を担当し、野球コラムで戦うペナントレースです。