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西澤 千央
2017/03/04

【DeNA】ベイスターズと村瀬さんと私(と白崎)

文春野球コラム ペナントレース2017

運命を変えた一本の電話

「む、無理です……」。電話口で私は生まれたての小鹿のように膝をガクガクさせながらコミッショナーの村瀬秀信さんにそう言いました。コラムペナントレース、ベイスターズ担当……無理じゃん、無理ですよ。ベイスターズは好きだけど、野球の原稿とかほとんど書いたことないし、それに絶対思うじゃんみんな。「なんでベイスターズなのに村瀬さんじゃないの?」。だって、私が一番そう思うから。

 聞こえる……9回裏、1点のビハインド。2アウトランナー2、3塁。ワンヒットでサヨナラのチャンス。代打を告げるラミレス監督の口がこう動く。「ニシザワ」。バックネット裏でファンがざわめく。「あれ?村瀬さんは?」「そこは村瀬さんでしょ」。正直な子どもたちが泣きわめく。「ママ~村瀬さんがいいよ~」。案の定、肩に力が入りすぎた白崎……いや西澤は見事にボール球を空振り。何万ものため息がハマスタを吹き抜けていく。「やっぱ村瀬さんじゃないとね」。溶けたみかん氷のように、所在なく、私の気持ちは白いプラスチック容器の中で揺れていた。どう考えたって……無理だ。

5年目のシーズンを迎える白崎浩之 ©文藝春秋

 ベイスターズファン永遠のバイブル『4522敗の記憶』の著者でもある村瀬さんと知り合ったのは、私がまだライターを始めたばかりの頃。それは『散歩の達人』という街歩きの雑誌でした。当時私は取材で2週間くらいホッピーとモツ煮を飲み食べ続け全身に蕁麻疹が出たり、村瀬さんはドヤに寝泊まりする企画で全身をダニに刺されたりしていました。私よりずっとキャリアも長く、既にベイスターズのことも書いていた村瀬さんですが、なぜかそういう取材ばかりしていました。自然とヨゴレ仕事を奪い合う仲になり、村瀬さんに身勝手な親近感と「いつかコイツをつぶさねば」という謎の使命感を覚えていました。

大洋多摩川球場の決斗

 しかし、いつしか村瀬さんはあまり散歩の仕事をしなくなり、いつのまにか会社を立ち上げ、社長になっていました。そして体中をダニに刺される仕事がごっそり私に回ってくるようになりました。つぶす前に、ずっと遠くに行ってしまった。やるせなさを抱えていたある秋の日、『散歩の達人』の飲み会(なぜか毎年河原でやっていた)で村瀬さんに会い、何かの話からホエールズ友の会の話になり、そこでお互いベイスターズが好きだということを知ったのです。さらに誕生日も一緒でした(その他、八代亜紀、マイケル・ジャクソン)。完全に「他校のヤンキーと河原で殴り合い、その後肩を組んで夕日を見る」シチュエーション。トレンディドラマなら「会えばケンカしていたあいつを偶然夜の公園で見かけなんかキュンとする」恋愛フラグ。残念ながらお互い既婚者であり、もし村瀬さんと私が結婚したら即野球で家計が破たんするでしょうが。

 それから村瀬さんはベイスターズのイベントや飲み会があると必ず私に声をかけてくれました。色々な人を紹介してくれようとしていたのに、マインドはヤンキーで根がコミュ障という不治の病にかかっていた私は話すどころか目すら合わせられず、ただ酒をあおり続ける謎のババアと化しました。幼少期、ガチ大洋ファンだった従兄から「お前の好きなサンバルカンは“大洋(=太陽戦隊)”だろ、だから機械帝国ブラックマグマは巨人だ」と森友学園もビックリの思想教育を施された私は、順当にベイスターズファンとなりました。しかし、それを誰かと共有したり、ましてや原稿にして世間の目に晒すなどビビリの私には到底考えられなかったのです。誰も見てないツイッターでブツブツ言うのが関の山。私がいつかつぶそうと思っていた村瀬さんはいいところも悪いところもひっくるめて純粋にベイスターズを愛して、しかも仕事として愛を表現して、その作品がまた多くのファンから愛されている。すごい、愛の三つ巴戦。リスペクトと嫉妬とが入り混じる、複雑な気持ちがそこにはありました。だからやっぱり「無理です」しか言えなかった。

そしてまた、得点圏で打席が回ってきました

 ノープレッシャーの中でしかバッターボックスに立てない。ヒットが打てない。しらさ……いや私はずっとそんなライターでした。自分自身に「今年こそはちゃんとする」と言い聞かせて、もう40になってしまいました。ランナーがいても、プレッシャーがかかっても、打てるようにならなければ。変わらなければ。しら……私は覚悟を決めて村瀬さんにメールを書きました。

「成績が振るわないと、シーズン終了を待たずに解雇とかもありますか??」

 1991年のハマスタ最終戦ダブルヘッダーで満塁弾を放って去っていく田代を見ました(その時投げていた中山も同時に去りました)。1998年の日本一の瞬間もハマスタで見ていました。色々あったベイスターズは少しずつ過去の亡霊から解き放たれ、生まれ変わろうとしています。球団は変われる。人は変われる。だったらしr……私も変われるはず。そんな気持ちで一年間このコラムを書きたいと思います。好きで選んだこの道に、技(ナシ)、力(ナシ)、少々のババア意気。村瀬さんファンの方のため息を光合成して、今年こそ秋口に立派な勝利花を咲かせたいものです。

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※「文春野球コラム ペナントレース2017」実施中。この企画は、12人の執筆者がひいきの球団を担当し、野球コラムで戦うペナントレースです。