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連載世界経済の革命児

大西 康之
2017/03/27

ビル・ゲイツ「アメリカ資本主義の正統な継承者として」

世界経済の革命児

ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)©UPI=共同

 20歳で起業して巨万の富を築いたが52歳でリタイア。61歳の今は、妻とともに慈善活動に没頭している。「アメリカ資本主義」の見本となる生き様だ。

 米フォーブス誌が発表した2016年の世界長者番付では、3年連続1位になった。しかし、金を使うことには興味がない。好物のフィレオフィッシュをマクドナルドが朝食メニューから外した時には、「会社ごと買ってやろうか」とジョークを飛ばした。

 ある時、友人で投資家のウォーレン・バフェットと香港に旅行したゲイツは、マクドナルドでランチをしようと提案した。するとバフェットは「ここは私がおごる」と言ってズボンのポケットをゴソゴソ探り始めた。出てきたのはクーポン券。それを見たゲイツは大笑いしたという。出張先でスイートルームを用意すると「ベッドとインターネットがあれば十分だ」と怒り出す。どれだけ稼いでも決して倹約を忘れない。

 マイクロソフトを興したのはハーバード大在学中。プログラマーとしても一流だが、真骨頂は未来を見抜く眼力にある。テクノロジーの10年先を予測して経営の布石を打つ「ビジョナリー」の先駆者でもある。

 考え事に没頭すると、上体を前後に揺らす「ロッキング」が始まる。マイクロソフトのCEO時代には「ゆらゆらと何時間も揺れ続けるゲイツを見ていて、新参の役員が船酔いした」という逸話がある。記憶力や集中力は常人の域を超えており「アスペルガー症候群ではないか」という説もある。

 スティーブ・ジョブズ率いるベンチャー企業のアップルがパソコン「アップルII」をヒットさせた直後、コンピューター業界の巨人IBMがパソコンへの参入を決断する。

 アップル追撃を急ぐIBMは、パソコンの将来性を過小評価していたこともあり、頭脳であるオペレーティング・システム(OS)をマイクロソフトから調達する。「世界のIBM」に採用されたことで、ゲイツは成功への階段を一気に駆け上がった。

 しかし、当初マイクロソフトのOSは、アップルのOSに比べて格段に機能が劣っていた。1985年には「ウィンドウズ」を発売するが製品としてはまだ不完全で、アップルのジョブズは「できの悪いモノマネ製品」とこき下ろした。しかし、1990年発売の「ウィンドウズ3.0」で大幅な改良がなされ、インターネットに対応した「ウィンドウズ95」が爆発的なヒットになる。

 同い年のジョブズとゲイツは、共にパソコン時代を築き上げ、2011年にジョブズが56歳で死ぬまで、ずっとしのぎを削った。

 ゲイツの野望はOSの支配にとどまらず、ワープロ、表計算、インターネット閲覧といったアプリケーション・ソフトでも競争相手を完膚なきまでに叩きのめした。強すぎるマイクロソフトは「悪の帝国」と呼ばれたが、ゲイツはこうした批判を一顧だにせず、資本主義の原点である「ウィナー・テイクス・オール(勝者総取り)」を忠実に実践した。

 ゲイツにとって1つの転機は、マイクロソフトの幹部社員だったメリンダ・アン・フレンチとの結婚だ。メリンダは、屋内プール、トランポリンルーム、映画館を備えた豪邸に住んでいたゲイツに「結婚するなら普通の家に住みたい」と訴え、家族で住むための家を建てさせた。メリンダとの出会いを契機にゲイツは、富の社会還元を考え始める。

 2000年にはビル&メリンダ・ゲイツ財団を設立。2006年にはバフェットが資産の85%にあたる約300億ドルをゲイツ財団などに寄付し、財団の規模は600億ドル超に倍増。世界最大の慈善基金団体となる。ゲイツは2008年にマイクロソフトでのフルタイムの仕事から引退し、2014年には会長職も退いて財団に専念するようになった。

「すべての生命は等価である」というスローガンを掲げたゲイツ財団は、その圧倒的な資金力を生かしてポリオやマラリアの根絶に力を注いでいる。ゲイツは「気前のいい慈善家」ではなく、プロジェクトの1つ1つを厳しく管理し、無駄遣いを許さない。使われるのは「自分の資産」だからだ。

 勝者総取りで築いた巨万の富を、自分が最も正しいと考える方法で社会に還元する。鉄鋼王カーネギー、石油王ロックフェラーらが実践したアメリカ資本主義をゲイツは正統に継承している。

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