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ショーンKの後任、モーリー・ロバートソンが書いた「ショーンK問題の真相」

genre : エンタメ, 芸能

降板したショーンK氏の後任として、夜のニュース番組「ユアタイム」(フジテレビ系)にレギュラー出演することになったモーリー・ロバートソン氏。
今回、モーリー氏にショーンK氏についての取材を申し込むと、真意を説明したいと自ら執筆した原稿が編集部に届いた。いち早くショーンK氏、そして日本メディアの“デタラメ”に気づいていたモーリー氏が、緊急出演の舞台裏や問題の本質を、包み隠さずに明かす――。

◆ ◆ ◆

さる3月、文春砲が撃たれ、第二弾に被弾した「ショーンK」を名乗り続けていた人物は屈服、J-WAVEで嗚咽しながらのお詫びをする。そのお詫び放送を銀座の端にあるレストランで聴いた。最後に流れた番組のお知らせは、J-WAVEが「うちは特に悪くありませんから」と幕引きする内容だった。ここにおいて「ショーンK」は使い捨てられた。

同じ頃、ぼくは『ユアタイム』出演日数が劇的に増えた。それは想定内だった。だが、続けて予期しなかった事態が連続する。東スポ、日刊ゲンダイ、週刊ポスト、アサヒ芸能などにゴシップ記事が書かれたのだ。

「フジ『ユアタイム』ショーンK後任の危険な“経歴”」
「ショーンKの後釜 モーリー氏はフジを救うか舌禍で炎上か」
「ショーンK氏後任・モーリー氏の持論展開をフジがヒヤヒヤ」
「終わらないフジテレビの迷走…ショーンKの後任人事が新たな火ダネに?」

など、お約束のいじりである。

フジテレビから追及された“学歴”と“コカイン歴”

©週刊文春

「ショーンK」の経歴詐称が発覚し、フジテレビは動揺しきっていた。これ以上炎上したくない、という無理もないロジックで、今度は「後釜」であるぼくが詮索された。ぼくの学歴は輝かしいが、詐称はない。1981年に東京大学とハーバード大学に同時合格し、東大に1学期だけ通った後で休学(その後退学)し、ハーバードに入学、卒業したことは周知の事実だ。実は『よくひとりぼっちだった』というタイトルで合格までの経緯を自叙伝に著し、他ならぬ文藝春秋から1984年に発表している。当時、5万部を超えるノンフィクション部門のベストセラーにもなった。

だが「ショーンK」で動揺したフジテレビ側は不安を拭えず、

「東大とハーバード以外に合格したすべての大学の合格通知のコピーを提出してください」

と過剰な身体検査を要求。その後も東スポに引用されたぼくの過去のツィートが追求の対象になった。

そのツィートはこういう内容だ。

「コカインはやったことがあります。最初で最後にやったのはアメリカで1985年頃でした。鼻からです。オバマより回数は少ないはず」

これは2015年に、日本の薬物報道の不毛さを揶揄するべく書き込んだものだったが、スキャンダルを洗い出そうとする東スポのたゆまぬ努力で検索に引っかかった。フジテレビ側は、

「コカインをいつやったのか。何度やったのか。当時のアメリカの法律でこれはどれぐらいの量刑となる罪だったのか」

というディテールを提出せよ、と再三連絡してきた。1985年、つまり31年前のマサチューセッツ州のコカインに関する州法をオフィス・モーリーのチームで調べて回答文を送信した。微罪であり、アメリカ在住時の行為で、一度きりであり、しかも多分時効だ。だがそれでもフジテレビ側の疑心暗鬼は静まらず、

「ほかに何かありませんか」

という問い合わせが相次いだ。

過剰な身体検査はとどまるところを知らず、最終的には「ニコ生」での配信を自粛もしくは停止してほしいという、ぼくからすると荒唐無稽な要求まで飛び出した。せっかく手にした地上波のチャンスをふいにするのは残念だったが、「ニコ生」に有料登録までしてくれた2000人以上のユーザーを裏切るつもりはない。潔く

「それでは番組を降板させていただきます」

と交渉する一歩手前で、案外すんなりと「ニコ生」への自粛要請は立ち枯れた。勘ぐった言い方をするなら、「ショーンK」に続いてぼくまでが降板したら番組が立ちいかなくなる。強気の交渉をすることで、フジテレビとの関係は正常化した。

「痛々しい。やめろ」とTwitterで罵声が

結局、市川紗椰がメインのニュース・コンシェルジュ、モーリーは週に3回出演するコンシェルジュというキャスティングで番組が始動。ピリピリした中での出発だった。ぼくはけして大麻やコカインの話題を口にしないことを心がけた。当初の「ショーンK」をメインに立てた番組構想から微妙にずれた状態での見切り発車だったため、当然のごとく、番組の歯車はなかなか噛み合わない。

「痛々しい。やめろ」

の罵声が毎日のようにツィッターに溢れるのを番組終了後に確認した。東スポは

 「フジ『ユアタイム』MC市川紗椰 9月降板へ」

という見出しで記事を放つ。野次と罵声を浴びながら、ワンクールが進んでいった。てんやわんやの局面もあった。だが番組の制作スタッフや出演者が逆境の中でも倍の努力を続けた結果、チームワークは着実に凝固し、一度は5.6%の視聴率を出したこともあった。「ワンクール終了説」は次第に鳴りを潜めていった。

テレビ局も「ウソ」に気づいていたはずだ

「ショーンK」という架空の存在を名乗った人物は、メディアの階段をどんどんと登って行った。今も「判官贔屓」の心理で数々の「ショーン、カムバック」の意見が聞こえてくる。

「本物のハーバードMBAでなくても、番組はそつなくこなしていたんだし、品はいいわけだし、それなりに使えばいいじゃないか」

と。しかしこの判定は間違っている。ハーバードのMBAや海外留学を詐称し、それで甘い汁を吸うことは、がんばって本当に資格を取った人から機会を奪うことになるからだ。また、報道を扱う番組で視聴者をも欺いている。さらに言えば、テレビ局の甘すぎるチェック体制を増長させる。テレビ局は「ショーンK」の国際人ぶりが嘘っぽいものだと、薄々わかっていたはずだ。でも便利だから使い続けた。こういう業界の体質は一度きちんと検証し、自浄することが望ましい。

さらに

「偽物のハーフでも、それっぽければいい」

とする採用基準は、本物のハーフをバカにしている。というか、ハーフをコモディティー、つまりモノ扱いしている。最後に「ショーンK」を名乗ったホラッチョ自身の人格を地に叩き落としている。そこまで自身の存在を否定し、望ましいハーフのセレブになりすましてまでテレビに出続けたいのか。他に何もないのか。ないのなら、仕方ないが。

ショーンKの英語は「bull shit=適当なでたらめ」

「ハーフ・タレント」という存在には、いくつもの隠れた付録がついてくる。そこには日本社会に無言で定着した「人種の序列」や「優生学」の価値観がこびりついているのだ。まず、ハーフ・タレントは一にも二にも、日本人を脅かさない。本来、外国の文化や価値観を身に着けたハーフたちは日本人の同質な意識に楔を打ち込み、その都度脅かす存在であるはずだ。しかるに、テレビはさまざまな手品の手法で、日本人の視聴者が見ていて小気味いいハーフ・タレントを演出し続ける。「日本人でよかった」と思わせてくれるハーフたちは、その存在そのものが自己矛盾している。

 ショーンKが満足に英語の会話をできず「bull shit=適当なでたらめ」で乗り切っていたことは、外国人がインタビューをすればすぐにわかったはずだ。ぼくはTOKYO MX TVなどでご一緒した時に違和感を感じていた。だが、お互いの詮索になるので、スルーした。加えてTOKYO MX TVのプロデューサーは「ショーンK」を可愛がっていたので、あえて水を差すのも野暮であり、沈黙した。プロデューサーたちを大喜びさせる「ショーンK」のマジックとは、肩書の羅列だった。ハーバードのMBA、ソルボンヌの留学経験、世界中にコンサルの支店を持ち、イケメンとイケメンボイスは女性の憧れの的、真の「勝ち組」……そんな都合の良い幻想を「ショーンK」という存在が体現していた。「ショーンK」の利便性が信ぴょう性の薄っぺらさを上回った結果、引く手あまたとなったのだ。

J-WAVEにいた、“もう一人のショーンK”

「ショーンK」がデビューをしたJ-WAVEで、かつてもう一人、経歴を詐称した知識人が持ち上げられたことがある。それはトルコ人の自称宇宙飛行士、アニリール・セルカンだ。ぼくはある年の年末スペシャルで、その人物とマッチメイキングされた。当時のJ-WAVEの編成局長はセルカンに惚れ込んでいた。セルカンが提唱する「宇宙エレベーター」構想や、静止軌道上から地球の諸問題を解決するという壮大な、壮大過ぎるヴィジョンに心酔していたのだ。共演したスタジオで、印刷されたプロフィールが渡された。そこには東京大学大学院工学系研究科建築学専攻助教、プリンストン大学数学部講師、ケンブリッジ大学物理賞、NASAジョンソンスペースセンターを含む華々しい肩書が並んでいた。あれほど卒業が難しく、競争が熾烈だったハーバードに匹敵する世界の名門校やNASAでさまざまなポストを歴任し、あるいは受賞。それのみか冬季オリンピックにまで出場したとするセルカンの経歴に、この世のものならぬものを感じた。

 だがインタビュー中、セルカンは具体的な話をことごとくそらし続けた。英語はまあまあ流暢だったが、科学者の語り口ではなかった。何かが匂った。後にネットの有志によってじわり、じわりとセルカンが論文盗用、経歴詐称、人物詐称をし、その偽りの肩書で講演会を開き、暴利を貪っていた実態が露呈する。詐称の暴露と同時にセルカンは日本から姿を消した。J-WAVEの上層部はセルカンを持ち上げた「黒歴史」をなんと思っているのだろう? その後「ショーンK」に長年に渡り、一杯食わされたところを見ると、おそらく何も学んでいない。幕引きだけは上手になったが。

 正真正銘の「外タレ=外国人タレント」は日本に留学などを通じて滞在し、そこそこの日本語スキルを持っている。まあまあ流暢と呼べる程度が平均値であり、真性のバイリンガルはほとんどいない。星の数ほどいる「外タレ」たちの片言の日本語を耳にすると、痛々しい。ぼくは東大を日本語で受験し、ハーバードも正規で受験して合格した。日本語、英語ともに骨身を砕いて、生身で磨き続けてきた。日本語がなんとか話せる「外タレ」と並べられると、得も言われぬ屈辱を感じる。外交でも経済でもいい。よほどの専門家なら片言の日本語を乗り越えてでも傾聴に値するだろう。だが「外タレ」の価値は

「外国人が日本語を話すところを見たい」

という原始的な要求に答えるものにとどまっている。言わば、見世物だ。

ハーフ・タレントは都合のいい存在

 さて、「外タレ」が見世物的な欲求を満たすものだとしたら、ハーフ・タレントはその改良型と言える。「外タレ」のぎごちなさを抜き取り、容貌は欧米風味だが中身はそっくり日本人だからだ。業界からすると視聴率が稼げて、しかも使いやすい。ハーフ・タレントはたまにそれっぽい英語を発音して、あとは流暢な日本語で語ってくれる。テレビ局にも視聴者にも都合がいい存在なのだ。

「そのどこがいけないの? だってハーフはきれいじゃないですか? ぼくらはそんな難しいことを考えてないんですよ。きれいでかっこいいからテレビで見たいだけなんですよ」

という素朴な反論が聞こえてきそうなので、それにも答えよう。「ハーフはきれい」の後ろには、人種の序列が潜んでいる。あまり日本人との違いが引き立たない東洋系のハーフ・タレントは希少価値が認められない。在日コリアンのハーフはそもそも出自を隠すことも多い。アフリカ系アメリカ人の父と、日本人の母の間に生まれた宮本エリアナさんがミス・ユニバース日本代表に選ばれた時には、一部から心ない差別の言葉がぶつけられた。

 だが反対に白人のハーフやクォーターは、現場でとにかく求められる。さらにファッションモデルや下着モデルになると、この傾向が酷いぐらい露骨になる。なんなのか? ずばり、白人へのコンプレックスだ。白人の容貌だけではなく、白人という存在に対する日本人の劣等感。

「日本人はどんなにがんばっても白人の下の身分に生まれている。だが日本人はアジアの諸民族の長である」

とする世界観である。これは160年ほど前に国をこじ開けられた当時、圧倒的にかなわない先進文明に出会って受けたトラウマが形を変えて存続しているのだと思う。言葉にならず、ディスカッションもされない「白人ハーフやクォーターはかわいい、きれい」の裏には「脱亜入欧」の負の遺産が潜んでいるのではないだろうか?

整形&日焼けした顔は「生きたフォトショップ」

 こうしたハーフ・タレントの枠を「ショーンK」は100点満点で満たした。それのみならず、ハーバード、ソルボンヌ、国際社会、インテル入ってる…など、白人の勝ち組を想起させる記号をことごとく羅列し、あげくには(おそらく)整形して欧米風に顔形を修正し、濃い目の日焼けで縫合部が見えないように「生きたフォトショップ」をかけていたのだ。かつてJ-WAVEの編成局長が「トルコ人宇宙飛行士」に引っかかったように、テレビ業界のプロデューサーたちも視聴者たちも、「ショーンK」という存在にそれぞれ自分たちが見たいものを投影し、愛でた。「ショーンK」は自身の虚像をつなぎとめる数々の糸がひとつもほころびぬよう、紳士的でそつのない人格を演じ続けた。WIN-WINだった、はずだ。

 しかし「ショーンK」が社会に影響力を持つキャスターのような要職に登れば登るほど、ほころびが出た時のクラッシュもまた大きい。『ユアタイム』が滑りだした後で経歴詐称・ハーフ詐称がばれていたならば、番組そのものが打ち切りになっていただろう。文春砲が早めにぶっ放されていたのは番組にとって不幸中の幸いだった。その後『ユアタイム』は「ショーンK無き時代」という喪が明けて、他局のニュース番組に比べて異色ながらも独自の存在感を打ち出しはじめている。市川紗椰のマニアックな相撲解説、モーリーの突撃路上ルポなども味わいを発揮し、日によっては数字がいい。市川紗椰は今では、ほとんど原稿読みを噛まない。若い男性と女性全般の受けがいいことも視聴率で打ち出されている。おそらく9月いっぱいでも打ち切りにはならない。

日本人の英語への苦手意識が生んだ“悲劇”

 最後に付け足したい。テレビには容貌の可愛さやバラエティー的なリアクション芸の巧みさがマストになる場面が多い。したがって今後もハーフ・タレントは増え続け、時間帯によっては「ハーフづくし」で番組が構成されるだろうことは想像に難くない。ただ、その時にひとつ覚えておいてほしいことがある。フルにバイリンガルで専門知識を持ち、才能に満ち溢れたハーフやクォーターがすでにいっぱいおり、発掘されないまま放置されていることを。市川紗椰やモーリーはそれぞれがどっしりとした教養と思考能力を持っている。それは今後の『ユアタイム』でも時間の割当次第で存分に発掘できる、隠れた資源だ。市川紗椰は例えばジェイムズ・ジョイスの全作品をほぼすべて読破しており、芥川賞候補の小説も発表前からまめに追いかけている。ぼく自身は大麻やコカインだけでなく、アメリカのトランプ現象からボスニアに浸透するイスラム原理主義に至るまで幅広く解説できる。お互いに大関・横綱クラスの知性を持っているので、あとは土俵に上がるのを待つばかりなのだ。かわいいだけ、白人っぽいだけの二人ではない。

 また、「帰国子女」と呼ばれる海外経験のある日本人も年々増加している。日本のほとんどの企業では英語が得意な幹部は少ない。したがって「帰国子女」たちの真の能力を把握できなかったり、やっかみが邪魔をする。「帰国子女」たちは本来の力を発揮できる役職が与えられず、末端で通訳や海外からの電話番、メールの翻訳、代筆などの雑務に回されることが圧倒的に多い。だが本当は海外経験豊富なバイリンガルたちこそが、日本語オンリー、日本在住オンリーの人々よりも的確な判断を下せる場面が多い。

 英語への苦手意識から逃げまわり続けた世代が人為的に生み出した「失われた20年」。それは日本語の中へと鎖国した20年分の機会損失だ。逃げまわった上司たちは今後、大量に定年退職する。誰も責任を取らない。その負の遺産を引き継ぐ「帰国子女」たちはそれにかわって、徐々に時代の主役へと押し上げられていく。実際にグーグルジャパンに行くと、完全に国際人の天下であり、日本語しか話せない日本人社員との間に歴然と序列ができている。これは近未来を暗示している。日本の大企業がことごとくオセロゲームのように反転する日が来る。

 これまで「帰国子女」と呼ばれ、お飾りの扱いを受けた国際人たちが決定権を握り、人事権も握る。その結果、「国際人」の上流社員と「国際的ではない日本人」の下働きへときれいに二分化する時代が来る。グローバリズムはそれを要求する。その頃には、かつて「ハーフ・タレント」として日本に媚を売り、おもてなしで叩き上げた面々が経営者となっており、「合理的」な経営判断を下す。少数のエリート社員は全員バイリンガルかトライリンガル。日本語しか話せない者は非正規社員。「純正日本人=純ジャパ」はバイリンガル上司に気に入ってもらおうとお互い競争する。ホラッチョたちに依存した日本の行き着く先は新たな「segregation=人種隔離」の社会に他ならない。

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