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中山可穂のノワール誕生。アルゼンチン・タンゴと復讐の激流にどっぷり漬かる

江南亜美子が『ゼロ・アワー』を読む

2017/04/09
note
『ゼロ・アワー』(中山可穂 著)

 ぞくぞくくる小説だ。読者はのっけから殺人の現場を目撃する。タンゴを踊る男女に向けられた拳銃。熱い貫通弾と血の匂い。冒頭の緊張が、続く、興奮した猫と殺人犯のかけひきでふっと弛緩したなら、それは著者のペースにはまった証拠なのだ。もはや観念し、どっぷり物語の激流に身をまかせるほかはない。

 舞台は東京。名うての殺し屋の男が一家四人の殺害を請け負う。だが十歳の娘だけ不在で仕事は完遂できなかった。そのとき生き残った広海(ひろみ)は、唯一の肉親である祖父が暮らすブエノスアイレスへ。やがて彼女はクリーニング店を営む祖父に、激しい動乱期を生きた暗い過去があると知る。

 殺し屋のコードネームが「ハムレット」だといえば、読者の多くは、物語が復讐の応酬に彩られることを予感するだろう。シェイクスピア『ハムレット』の「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」との有名な独白さながらに、広海も生き死にをかけて、殺しの技術とタンゴを習得する。すべてはタンゴ狂いでも知られるハムレットに再会し、復讐せんがためだ。

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 殺し屋組織のフォルスタッフや、祖父の片腕のフアンなど、個性的な人物も次々と登場。だが彼らを含め、物語全般においてリアリティを問うてもあまり意味はない。著者は殺し屋、少女、ときどき猫という座組を駆使し、「ノワール」という小説ジャンルの何たるかを、その魅力を、改めて示そうとしているのだ。ノワールはかっこよさと心理描写を身上とする。気高いヒロイン広海は無垢な少女から容赦なき復讐者に成長する。孤高のハムレットは最高のタンゴの相手を求めている。宿命に導かれる二人の邂逅が読みどころだ。

 読むあいだ、表題ともなったピアソラの「タンゴ・ゼロ・アワー」の哀切で狂おしい調べが脳内に響くこの物語に、中途半端な結末は許されない。焼き尽くすがごときラストまで一気呵成。恋愛小説で評価される著者の新境地が楽しめる。

なかやまかほ/1960年生まれ。早稲田大学教育学部英語英文科卒業。93年『猫背の王子』でデビュー。95年『天使の骨』で朝日新人文学賞、2001年『白い薔薇の淵まで』で山本周五郎賞受賞。『ケッヘル』など著書多数。

えなみあみこ/1975年大阪府生まれ。近畿大学、京都造形芸術大学非常勤講師。共著に『きっとあなたは、あの本が好き。』など。

ゼロ・アワー

中山可穂(著)

朝日新聞出版
2017年2月7日 発売

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中山可穂のノワール誕生。アルゼンチン・タンゴと復讐の激流にどっぷり漬かる

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