朝井さんは多くの作品で、作劇の軸に、人と人とのコミュニケーションを置いている。読者は読み進めながら、『とあるコミュニケーション』をじっくりと観察する事となる。「ままならないから私とあなた」に収められた二篇も、『コミュニケーションの齟齬』が主軸となっていた。
登場人物たちの間に生じた齟齬は摩擦を生み、熱を発生させていく。その熱は物語のエモーションへと転じていき、やがて、ピークへと昇りつめる。こういった物語の場合、その多くが、『和解によって深まる絆』的なピークを迎えたがると思うが、朝井さんの場合、『破綻』や『和解でも破綻でもない、その他』というピークを迎えることが多い。ストーリーテリングやメイクドラマのカタルシスを単純に目指すのならば、バランス感として、こういう風にはしないのではないかと思う。読者も、大団円な、『深まる絆』的なゴールを期待するだろう。しかし、朝井さんはそうしない。なぜか。『言いたいことが言いたい』からだ。朝井さんの作品の核は、『言いたくて仕方がないこと』にあるのだ。
この、朝井さんの作品の基本に気が付くまで、ずっと不思議に思っていた。なぜ、登場人物たちがこんなにも討論しているのだろうか、と。濃密なコミュニケーション描写と言える範囲からはみ出て、めちゃめちゃ意見を戦わせている。そして、討論が白熱していくうちに、“登場人物”がフェードアウトし、真の発言者をその場に浮かび上がらせる。朝井さん本人だ。『とあるコミュニケーション』の正体は、朝井さんの『脳内一人ディベート』なのである。近年の作品ではこの傾向がより強くなり、朝井さんの作品様式と呼べるものになっていると思う。勿論、これが物語としてグルーヴしているから、凄い。舞台の脚本家に近い気質なのかもしれない。
では、朝井さんが作品に込めている『言いたいこと』とは何だろうか。モチーフとしてよく用いられる、SNS、各メディア、エンタメの流行などは、現実のものを殆どそのまま持ち込んでいるだけあって、作品から現代批評の側面も感じられるし、それらに対する、朝井さんの意見や怒りや苛立ちなども伝わってくる。確かに、これも『言いたいこと』だとは思う。しかし、もしそれだけだったとしたら、小説としても論理としても弱くなっているだろう。特にSNS批評は、SNS自体の『わざわざ発信する』構造からして、『言った時点で負け』になる。でも、そんなSNS批評をブチかました「何者」が読者に感動を与え、直木賞を受賞するほどの説得力を持ち得たのは、朝井さんがきっちりと、世界の正体や本質についてを『言っている』からだと思う。「ままならないから私とあなた」「レンタル世界」は、それをタイトルの時点ですでに表しているし、この二篇で一冊になったのも必然だと思う。世界の正体とは、『印象』であり、『主観』であるという根本的なことを、朝井さんは繰り返し『言っている』。