芸人のスポーツマン化の、一つの象徴たるものがM-1なのかもしれません。この賞を取るためにいかに努力をしてきたのか、舞台裏の苦労を、上沼恵美子言うところの「熱さ」をお客さんに見せてしまう。確かに今のお笑い界で最も成功への足がかりになる賞であることは事実。納得できない審査に対して「芸人の人生が決まってしまう」と憤る声もよく聞かれます。だけど思うんですよ。誤解を恐れず言えば、私ら視聴者にとって「芸人の人生が決まってしまう」かどうかなど、どうでもいい話なのです。少なくともこれはバラエティ番組であり、こっちは視聴者。おもしろい漫才を見せてもらって、笑うだけ。出てくる芸人の人生がどうこうなど言える立場ではないのです。
好き勝手してるようでルールは守る恵美子
あの騒動を「無事更年期障害も乗り越えまして」の一言で回収して、CDの宣伝もニューヨークの歌ネタの流れを考えると一番無理のないタイミングで、からし蓮根のコメントで和牛のことを話したのも、和牛の時には単に上沼恵美子が指名されなかったと考えると、バラエティとしての最低限のルールは守っているように思えます。そしてコメントと採点が必ずしも連動してはいない。お客さんに「こいつは感情(好き嫌い)で採点してる」と思わせ、タチ悪いことに本人もそう誤解されるような振る舞いをし、しかし実際はロジカルなルールを逸脱はしてない。ここがこの人の最大の意地悪なところでグッときます。「ほれ殴れ」としながら、最後の最後にヒョイっとかわす。何でもかんでも好き勝手してるように見せかけて、このコンプライアンス万歳炎上一発アウトと言われる時代にいくつも冠番組を抱えている脚力を感じます。
上沼恵美子は、上沼恵美子に、そして自分のお笑い観に誠実であろうとすると、狂わなければならない。M-1は演芸でありバラエティ番組。露悪的になることで、それを成立しようとしたのかなとも思うのです。しかし今年のM-1は、一番理想的な形、「スポーツマン化を出場者のただおもしろいが自浄する」という形で、最高のバラエティ番組になったのではないでしょうか。上沼恵美子の狂い損。それもまたおもしろいんですよ。ただ一つ、和牛に対しては一瞬だけ本当に狂ってしまったようにも見えました。好きなんでしょうし、悔しかったんでしょうね。なんか、わかります。白崎浩之というドラフト1位がおりましてね。