昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

山内 宏泰
2017/05/16

蜷川実花が撮る、父・蜷川幸雄の死を予感した美しき日々

 画面からはみ出し、こぼれ落ちんばかりの光にあふれている。ここはこんな明るく輝いた土地だっただろうかと訝ってしまう。写っているのは東京のあちらこちらの、なんでもない場所だったりするのに。東京・品川、原美術館で開催中の「蜷川実花 うつくしい日々」の会場で、そんな気分に襲われた。

©mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

父の死と向き合って撮った写真

 写真家として当代随一の人気を誇る蜷川実花の個展である。もともと、「蜷川カラー」との呼称がつくほど強烈な色彩で画面を覆うのが蜷川の作風だけに、華やかな写真が並ぶのは予想がついた。けれど、今展で掲げられている写真はひと味違う。写っているものがことごとく、内側から発光しているかのよう。

 植え込み越しの電柱。傾いた陽に照らされた屋上。雑踏のなかの人々の足元。どこかの窓から望むビル群。本当に取るに足らない光景の数々が、光に包まれてどれもかけがえのないものに見える。撮るときの撮影者の視界が、異様なまでにクリアだったのだろうと想像させる。それらの写真は、観る側の目の曇りさえ洗い流してくれて、この空間に身を置いているだけで五感が研ぎ澄まされていくのがわかる。

©mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

 なぜいつにも増して、かくも冴えわたった作品が生まれたのか。それは撮影の時期に関係がある。広く知られているように、蜷川実花の父親は演出家の蜷川幸雄。彼は2014年の11月に病に倒れ、しばらくの闘病ののち、昨年春にこの世を去った。今作が撮影されたのは、その春のこととなる。蜷川実花は父の死を予感し、間近に迫る問題としていつも意識しながら、この時期を過ごし写真を撮り継いだ。

 想像するに蜷川はこの時期、世界が有限であることをはっきり自覚して、いまというひとときの大切さを噛みしめる機会が多かった。そうなると、すべてをよく見ておこう、記憶に留めておきたいとの気持ちが強く湧き起こり、視野は広がり、事物の細部まで捉えられるようになるのではないか。人は危機に面した瞬間、目の前で起こっていることがスローモーションで見えることがあるというけれど、それと同じような現象が、蜷川には1年半のあいだ続いたんじゃないか。

©mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

過去が写っているから美しい

 今展の写真が透徹した美しさを持つもうひとつの理由は、父の死から1年後に個展が開かれているところにもある。1年という月日が経つと、悲しみが消えることはないとはいえ、この世に残った側の暮らしは落ち着きを取り戻していく。人の死という大きな出来事は、徐々に思い出となる。

 ものごとは、ふりかえって眺めるとたいてい美しく映る。学校生活も、親子関係でも、完結したあとに思い返すと、諍いを起こして言い争ったことすら「ああ、あんなこともあった」と微笑みながら言えたりするようになるもの。

 そもそも写真というのはすべて「かつて、そこに、あった」ものが写っている。画面のなかにあるのは常に過去のものなので、思い出をたどるときのように美しく目に映る。なんでもないものが写っているだけでも、写真になるとつい見入ってしまったり、いろんな感情が呼び起こされるのは、写真は思い出と同じだからなのだ。

©mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

 どんな写真でも50年経てば、すべて傑作になる。

 ある写真家がそう言っていたけれど、きっとそれは正しい。時の経過とともに、その情景に含まれる美しさだけがどんどん浮き出してくる。

 たったひとりの父親の死に直面して、外界への感度が最高度に高まった蜷川実花が写真を撮った。それらの作品が、蜷川幸雄の亡くなった1年後に展示されている。ぞっとするほど冴え冴えとした空気が会場に渦巻いているのは、当然のことだ。

©mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

 作品とじっくり向き合ってから館をあとにする。と、目に映る東京の光景が、来たときよりもちょっと輝きを増して見えた。それも決して不思議なことなんかではない。

はてなブックマークに追加