日本人と写真術の幸福な出逢い

 写真術が世界で初めて確立されたのは、1839年のパリでのこと。当時としては魔法としか言いようのなかったこの最先端技術、あっという間に世界中へと広まった。ときは江戸の世、鎖国中だったはずの日本も例外ではない。1850年前後には技術が伝わり、そのころ撮影された写真がわずかながら今に伝わっている。

 幕末から明治期にかけて撮られた希少な写真を一堂に集めた展覧会が、東京・恵比寿の東京都写真美術館で開催中だ。「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 総集編」。時代をありのまま記録するという、写真にしかできない役割を強く印象付けられる展示になっている。

 

「時代の顔」のコレクション

 日本に入ってきた写真術は、すぐに各地で花開いた。写真館ができて、さまざまな人たちの姿がポートレートに収められた。最初に営業を開始したのは江戸の鵜飼玉川。続いて下岡蓮杖が横浜で、長崎では上野彦馬が開業する。ほどなく大阪で内田九一、北海道で木津幸吉や田本研造といった面々も、写真師として名を成していく。

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上野彦馬 題不詳(上野八重子像)明治35年頃 ゼラチン・シルバー・プリント
長崎歴史文化博物館(展示期間: ~ 4月9日)

 会場では彼らの作例が通覧できる。技術的にまだまだ未熟だったゆえ、さほど動きのある写真は撮れないものの、各々が精一杯の創意を凝らしているのが実作を見るとよく伝わってくる。ポーズや衣装をあれこれと試し、できるかぎり活き活きとした写真を生み出そうとしており、それが写真師たちの個性になっている。後に写真は単なる記録装置に留まらず、表現のための道具にもなっていくのだけれど、すでに表現へと飛躍する萌芽がここに見え隠れしている。

鈴木真一《(子供の武将)》明治時代中期 鶏卵紙に手彩色 後藤新平記念館

 出色なのは下岡蓮杖。1860〜70年代にかけて、無数の職業、立場の人々や暮らしの場面を撮影し、「時代の顔」をコレクションした。果物売、豆腐屋、易者、猿回し、傘張り、飛脚ら、時代劇か歴史小説でしか知らない人たちの実際の姿を見せてくれていて、思わず見入ってしまう。武士の子と母は、姿勢良く凛として、目力が異様に強い。鎧兜の武将も、厳しい表情がさすが板についている。

下岡蓮杖《(傘張り)》
鶏卵紙 文久3〜明治8年頃 東京都写真美術館

 相撲取りは現在の基準からいえば小柄だが、足腰はしっかり鍛え上げられているようで、盛り上がったふくらはぎと足首がたくましい。岡引と罪人、行水する女性の写真もあって、彼ら彼女たちはいったいどんな気持ちで写真機の前に佇んだのかと、見ているこちらが複雑な気分になる。

 どの写真も、表情がいい。荒っぽいが性根の据わった、また素朴だが品性を感じさせる顔の数々。遠い過去にいる日本人は皆、懸命にまっすぐ生きていたのだと気づかされ、背筋が伸びる思いがする。

下岡蓮杖《(鎧兜の武将)》
鶏卵紙 文久3〜明治8年頃 東京都写真美術館

写真史に輝く下岡蓮杖のポートレート作品

 写真表現の歴史を眺めると、時代の顔を撮った作品としてはドイツのアウグスト・ザンダーのものが広く知られる。20世紀前半、ザンダーは膨大なポートレートを撮影し、それらを職業や階級ごとに分類するプロジェクトを展開した。菓子屋、煉瓦職人、役人……。どれもいかにもそれらしい姿に写っており、人間の典型をコレクションしている感があって見応えがある。

 下岡蓮杖をザンダーと比べてみる。と、まったく遜色がない。蓮杖は当時の日本人の典型を活写しており、しかもザンダーより半世紀ほども早くこれに着手している。世界の写真史からしても、いかに彼が先駆的な仕事を成し遂げていたかがはっきりとする。

 会場ではポートレート以外にも、長崎の海辺や、江戸の町を高台から撮影したパノラマ写真も見られる。見渡すかぎり木造建築が連なる光景は新鮮だ。

フェリーチェ・ベアト《愛宕山から見た江戸のパノラマ》1863(文久3)-64(元治元)年 鶏卵紙5枚構成 東京都写真美術館蔵

「箱館市中取締 裁判局頭取」との肩書きの付いた、土方歳三の肖像写真などもある。なんとも凛々しい、いいオトコだったことが写真によって証明されている。

田本研造《箱館市中取締 裁判局頭取 土方歳三》(部分)
ゼラチン・シルバー・プリント(後年のプリント)明治2年 函館市中央図書館
(展示期間:4月25日- 5月7日、他期間はレプリカ展示)

 あまりに写真が身近にある私たちはつい忘れがちだけれど、そのときその場所にあった事物を忠実に写し取る写真の「記録力」はかくも強烈だ。そんなことに改めて気づかされる展示である。