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卒業できたのは樺俊雄先生のおかげなんです

―― 卒業する頃には、学生運動も下火になっていたんですよね。

植田 下火も下火ですね。もう、学校に行くのもつまんなくなっちゃって、卒業も危なかったんですよ。そしたら学校から電話があって「あと一つだけ単位を取れば卒業できます。だから先生に会いに行ってください」と。それじゃ、と単位もらいに行った先生が樺美智子さんのお父さん、樺俊雄教授だったんです。創価大に移るから、誰も落っことせないんだって(笑)。それで、課題図書を指定されて、なんとかレポートを提出して、単位をいただいた。卒業できたのは樺先生のおかげなんですよね。

「秋田の六郷っていう名水の里に行ったときの思い出を、コボちゃんの家族に託して描いた画ですね」

―― 卒業されたけれど……。

植田 卒業はしたけれど、ですよ。実家に引きこもりみたいになっちゃってね、半分。おふくろが医療事務の仕事をやっていて、その手伝いをしたり、兄貴が司法試験受け続けるかたわらで塾をやるっていうんで、それを手伝ったり。そんなことをやりながら内心「どうしよう、どうしよう」って将来が不安で不安で。で、いつだったか、おふくろと兄貴が、私が広告の裏にいたずら描きした4コマ漫画を見つけて「面白いじゃねえか」って言ってくれたんです。「これ面白いから、ちゃんと描いて持ち込んでみたら」って。

―― いいご家族ですね……。

植田 それで持ち込んだのが芳文社。

―― のちに「おとぼけ課長」を誕生させる出版社ですね。

植田 そしたら一発で原稿を預かってくれたんです。意外と簡単だなあ、なんて思ってたのはそのときだけで、ここからが大変だったんだけど(笑)。

デビュー作「ちょんぼ君」の原稿料

―― どんな漫画だったんですか? デビュー作は。

植田 「ちょんぼ君」。麻雀漫画ではないんですけど、まあ目に入ったものを描いた4コマで。それを広告が抜けたときの「埋め草」として使ってもらえた。

―― 最初の原稿料っていくらか覚えていますか?

植田 1ページ3000円だったと思います。その頃、御茶ノ水に仕事場を借りたんです。家賃が3万5000円。小川町の、いまヴィクトリアがあるあたりです。そこで描いているうちに、ポツポツと竹書房だったり、双葉社だったり、声がかかるようになってきて。「おとぼけ課長」のモデルになる人物と出会ったのは、その頃のことです。

 

#2につづく

うえだ・まさし/1947年、東京生まれ。中央大学文学部哲学科卒業。82年、第28回文藝春秋漫画賞。2016年、日本漫画家協会賞大賞。作品に「コボちゃん」「かりあげクン」「おとぼけ課長(現・おとぼけ部長代理)」「フリテンくん」など。現在も年間1100本余りの四コマ作品を描き続ける。

写真=鈴木七絵/文藝春秋