近年、中国ではスマホを使ったQRコード決済が市井の屋台や菜っ葉売り市場まで普及し、シェア自転車など新たなサービスも生まれている。そうした新時代の中国的ITイノベーションの一大拠点となっているのが、広東省深セン市だ。
もっとも、いまをときめく深センは輝かしい繁栄の陰に広がる闇も深い。郊外の龍華新区にある景楽新村一帯(現地にある職業斡旋所の名を取って「三和」と呼ばれる)には、デジタル工場で働く短期労働者や流れ者の若者が集まるサイバー・スラム街があり、わずかなカネをインターネットゲーム(ネトゲ)やギャンブル・性風俗などの刹那的な娯楽に費やして明日なき日々を送っている。
故郷の親族とのつながりが断絶し、劣悪な環境の安宿やネットカフェに泊まり続けて自堕落な生活を送る彼らは、いつしか中国のネット上で「三和ゴッド」(三和大神)と呼ばれるようになった。私は彼らについて調べるうちに現場をどうしても見たくなり、ついに広東省での実地取材を敢行。今月4日発売の『SAPIO』9月号に「中国『金持ち都市』を彷徨う若き廃人たち」と題して寄稿した。
上の写真のキャプションからもわかるように、三和の人々は多くが地方出身者だ。子ども時代には、やはり出稼ぎ農民である両親が身辺に不在という孤独な環境(留守児童)に置かれ、家庭的な事情から高校以上の教育が受けられなかったという例も少なくない。私が『SAPIO』の寄稿記事で描いたのも、現地で数多く出会うそんな人たちの群像だった。
だが、実は取材の過程では、貧富の格差や留守児童問題とは異なる事情を抱えた「変わりダネ」の三和ゴッドにも出会っている。彼はその経歴ゆえに、周囲から知恵者としての扱いを受けていたので、とりあえず「呉用」と呼ぶことにしよう。本人や周囲の人々の話を総合すると、現在40歳ほどの呉用は大卒の学歴を持ち、三和に流れ着く前は深セン市内で家庭を築きIT企業に勤務する、中産階層の人間だった模様だ。
ぶくぶくと太った呉用は、すでに三和での暮らしからは脱出したものの、まだ借金が残っているためか写真撮影や本名の公開はすべてNG。だが、三和ゴッドの暮らしと現代中国の中産階層が陥る人生崩壊の具体例については存分に語ってくれた。本稿では当時の取材ノートをもとに、そんな彼との会話を再現してみることにしたい。