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盛田 昭夫
2017/08/17

ソニー創業者・盛田昭夫が56年前に書いた「新・サラリーマンのすすめ」

結婚と就職は一生に一度というのはもう古い

source : 文藝春秋 1961年12月号

genre : ビジネス, 働き方, 企業, 経済

 盛田昭夫氏は、終戦直後の1946年に井深大氏とともに東京通信工業株式会社(後のソニー)を設立した。トランジスタラジオやウォークマンの生みの親としても知られている。

 その盛田氏がソニー副社長を務めていた当時、「最近の就職事情」について記していた。

 人事コンサルタント・城繁幸氏の解説付き。

出典:「文藝春秋」1961年12月号

寄らば大樹の蔭

銀座ソニービルの前に立つ盛田氏 ©文藝春秋

 就職試験は終った。大ていのところではいま、会社の将来を担うひなどりたちを選び終ってホッとしているところであろう。

 ところが、さいきん、私は、少し考えさせられることを耳にした。証券会社に入社が内定した青年たちが、どんどん入社を断わりにきている、というのである。

 事実とすれば、情ない話だ。株が暴落をつづけ、兜町に冷たい風が吹きはじめたからといって、そのことだけで、一たん身を投じる決心をしたものが翻心するとは、なにごとだろう。最初の決心そのものが、あやふやだったのではないだろうか。

 いまは就職の売手相場である。証券会社に入社を断わりにきた連中は、きっと二股も三股もかけていたにちがいない。連中は売手の権利を行使してサラリーの悪くなりそうな会社を敬遠し、少しよさそうなところに鞍替えしたわけなのだろう。だが、かれらにもし掛け替えがなかったらどうしただろうか。それでもやはり断わりにきただろうか。それなら立派だが、そういうことは考えられない。そのときはかれらは「仕方がないから」最初の予定通り証券会社の社員となったにちがいない。

 私はそう、思うのである。そして、ここにいまの青年たちの、就職に対する考えかたの典型をうかがうような気がするのである。

 就職というものは、結婚と同じくらい、いやそれ以上に人生にとって大切だ、ぐらいは頭のなかでは、だれでもそう思っている。ところがイザとなると、青年たちはわりと軽率に就職先をえらぶ。というより、自分がどういう職業に適しているかという自覚が一般に稀薄なので、入念にえらぼうにも、方法を持たないのである。

 つまるところは、とるにもたらぬような気分的な理由で、きめてしまう。たとえば「寄らば大樹の蔭」というわけで、できるだけ大会社をえらぶのだ。

 そしてその結果は? 怠惰なサラリーマンがまたひとり、ふえるだけのはなしだ。もちろん、はじめのうちは、かれはこの新しい社会で頭角をあらわそうとして、精励恪勤するだろう。しかしもともと「この仕事こそ自分の天職だ」という自覚があったわけではないのだから、いくら働いても社長になれる日が来ないことを知ると、とたんに無気力になる。「無難」という言葉が、それからのかれの金科玉条だ。

「無難」という名のぬるま湯

 いうまでもなく、こうして、サラリーマンが無難である、無難でしかないということは、本人にとっても、会社にとっても不幸なことである。

 会社はその人を、できたら辞めさせたいと思うだろう。だがそれは思うだけのことで、実際には日本の会社は、本人が刑法にふれる犯罪でも犯さないかぎり、クビにすることにしない。本人の方もぬるま湯の世界から抜け出して、あえて新しい生き甲斐を見つけようとはしない。

 だいたい、日本人は就職先を変えることを極度に恥じるようである。一度就職したらできるだけ、そこで骨を埋めよう、という思想がつよい。昔の「奉公」の観念のなごりなのだろうか。

 それが古くさい考えだ、ということは、実は誰でも気がついていることのはずである。しかし実際はなかなか打破できない。

 結婚に対する考え方は、さいきん、かなり新しくなってきた。性格の合わない者同士がなにも無理して共白髪まで我慢することはないじゃないか、というわけで、離婚がひんぱんのようである。当然のはなしで、その方がお互いの幸福のためでもあるのだ。

 就職だって実は同じことなのである。お互いに選択をあやまった会社と会社員は、それと気がついたら、さっさと別れるべきなのである。あやまちを改むるにはばかることなかれ、だ。