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平松 洋子
2017/08/26

生と死を行き来する、慎ましくも豊饒な記憶の物語

平松洋子が『あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった』(川崎 徹 ・著)を読む

 一瞬、時制が混濁するようなタイトルに攪乱され、読者は宙ぶらりんのまま小説世界におずおずと入ってゆくことになる。

 ユキコさんと平山は、十二歳離れた夫婦だ。結婚当初は母親と息子に間違われたけれど、ユキコさんが七十を越えたあたりから外見上の差は薄らいだ。平山には、ずっと若々しかった年上の妻の心身の衰えが気にかかるが、もちろん自身の老いも自覚している。どっちが先にいなくなってもおかしくはない、終わりの予感が互いの輪郭を照らし出す。

 急勾配の坂に建つ、建て売りで買った家。老夫婦の慎ましやかな日常が、抑制の効いた筆致で描写される。うっすらとユーモアが滲む親身な会話のあれこれは、しかし、ときおり記憶が行き違う。過去の時間がしばしば侵入し、現在が微妙にずれ、微妙な軋みが生まれる。いっぽう、雪夜のように音もなく堆積してゆく記憶の数々。ひとひとりの生に詰め込まれた記憶は、これほど膨大なのだ。

 繰り返し登場する列車や歩道橋は、生と死の領域を往来する夢の浮橋でもあるだろうか。走る列車に巻き込まれて飛んでいった、平山の父が小遣いをはたいて買った深緑色のボルサリーノ。少年の頃、橋の欄干から身を乗り出した子供たちは、走る列車めがけて石を投げる危険な遊戯に夢中になった。町内のクリーニング店の主人が飛び降り、未遂に終わったあと、同じ場所で思いを遂げたとき明け方の空に響き渡った警笛と急ブレーキの音。網棚に置き去られた赤ん坊……日常のおびただしい出来事は、記憶の海に飲み込まれるために営まれているとさえ思われてくる。

 とはいえ、ひとつずつの記憶はこれほどの強度を持つのだから、あらゆる生の時間は決して無為ではない――鮮烈な映像感覚、それらを繋ぐ穏やかな語りによって生の実在感を描きだす川崎徹の真骨頂だろう。

 あるときユキコさんは、平山の高校時代の教師、木川田の遺体が三十五年ぶりに発見されたという夕刊記事を偶然見つける。かつて夫は、高校の山岳部再興を託された新米英語教師を八ミリカメラで撮り、その短編作品がコンクールで銀賞を受賞していた。のちに著名な登山家となり、ヒマラヤで行方知れずになっていた先生と平山との邂逅。

『あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった』(川崎 徹 著)

 ユキコさんが言う。

「あなたが生きていた間、先生はずっとここで死んでいたのね」

 死者としての先生の声。

「ぼくがここで死んでいた間、君はずっと生きていた」

 老いは、感情の滾(たぎ)り、燻り、鎮火の連環のなかにあるのだろうか。運針の糸のように過去と現在、あるいは生と死の領域が縫い合わされ、人生の終章が深く沁みてくる。そして、ユキコさんはふっと姿を消す。

あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった

川崎 徹(著)

河出書房新社
2017年5月26日 発売

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