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万城目 学
2017/08/27

足跡の化石が恐竜研究に貢献するこれだけの理由

万城目学が『恐竜探偵 足跡を追う』(アンソニー・J・マーティン 著)を読む

『恐竜探偵 足跡を追う』(アンソニー・J・マーティン 著 野中香方子 訳 )
 

 たとえば、聖徳太子と呼ばれていた人物はいなかった、大化の改新は行われていなかった、1192年は鎌倉幕府が成立した年ではなかった等々、日本史の世界で、私たちが子どもの頃に学んだことが、新たな研究の成果、知見を取り入れたかたちで修正されるのを、近ごろ目にする機会も多い。

 それと同じことが恐竜の研究の世界でも起きている。いや、恐竜のほうがより変化の度合いは激しい。何しろ、恐竜を研究する人間は世界中に存在し、毎年、新たな化石が掘り起こされ、続々と研究結果が発表されているからだ。

 もしも小学生のころ恐竜図鑑を眺めるのが好きで、かれこれ二、三十年触れていないなあ、という方がおられたら、ぜひ最新の図鑑を手に取っていただきたい。あの頃とは大きく異なる常識が展開されているはずだ。

 カラフルな羽毛を纏(まと)った恐竜。かつて尻尾を地面に下ろし、首を持ち上げていた巨大恐竜はすべて尻尾が浮き上がり、首が下がった「やじろべえ」型に変更されている。歩くメカニズムが判明したからだ。水面から顔だけを突きだすブラキオサウルスも消えた。水中では水圧で肺が圧迫され、息ができないことがわかったからだ。

 これらはすべて化石となって出土した骨の研究から明らかになったことだ。しかし、研究者のなかには骨がなくてもそこに恐竜の気配を認め、一億年前に地上を支配した生き物の生態を探り当てる人々がいる。

 それが生痕学者だ。

 聞き慣れぬ言葉である。

 生痕学とはたとえば足跡、糞、巣、噛み跡、胃石など、骨ではない化石を研究する学問だ。そう、いつか人類が絶滅したとき、あなたがサンダルでぬかるみを踏んだ足跡がぽつんと残されたなら、それもまた立派な人間の化石となるのだ。

 著者は言う。

 恐竜は全身で二百個そこらの骨しか持っていないが、その恐竜が残した足跡は二百個どころではないと。その生痕化石から、骨を見るだけではわからない恐竜の生態を著者は探る。決して想像ではなく、綿密な考証にもとづく名探偵の目で。

 恐竜は水生ではないが、泳ぐことができた。なぜなら、河底を蹴った足跡が残っているからだ。恐竜は子育てする。その証拠が巣の跡に残っている。トンネルを掘り地中に暮らす恐竜までいた。実際に著者が巣穴を発見している。

 この本を読んだあなた。もしも、ハイキングでアディダスのマークに似たしるしが刻まれた岩塊を山中に見つけたなら、一瞬にしてその正体に気づくだろう。

 こいつは恐竜の足跡だと。

アンソニー・J・マーティン/エモリー大学教授。古生物学者、地質学者にして世界有数の生痕学者。巣穴を掘る恐竜を初めて共同発見し、地質記録に残る最古の恐竜の巣穴も発見した。また、南半球の極地に暮らした恐竜の、最も数が多く整った歩行跡を記録した。ジョージア州アトランタ在住。

まきめまなぶ/1976年生まれ。作家。『とっぴんぱらりの風太郎』『悟浄出立』『バベル九朔』『パーマネント神喜劇』など。

恐竜探偵 足跡を追う 糞、嘔吐物、巣穴、卵の化石から

アンソニー・J. マーティン(著),野中 香方子(翻訳)

文藝春秋
2017年8月10日 発売

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