先日、日刊ゲンダイでの私の連載『対岸のヤジ~プロ野球自腹言論』において「なあ藤浪晋太郎、野球は楽しいか? 野球で最近笑ったか?」と題したコラムを発表した。去る8月16日の広島戦に先発した阪神・藤浪が、あろうことか広島・大瀬良大地と菊池涼介に死球を与えてしまった、あの試合の直後のことだ。

 あのとき、大瀬良の優しい対応はもちろん、降板時の藤浪に送られた客席からのエールも含めて、とにかく厳しい現実とは裏腹な周囲の温かさが余計に藤浪の深刻さを物語っていた。以降、多くのメディアが今まで以上に彼の制球難(ことさらイップス説)について取り上げるようになったが、私としてはそういうデリケートな問題の各論に入る前に、そもそも今の藤浪の沈鬱な表情や蒼ざめた顔色が気になってしょうがない。

 もしや藤浪は野球自体が嫌いになっているのではないか? もっと掘り下げると、日々の生活でさえも苦しいのではないか? そんな人間としての根源的な精神問題が脳裏をよぎり、冒頭の連載ではそのことを中心に私見をつづらせていただいた。

ADVERTISEMENT

制球難に苦しんでいる藤浪晋太郎 ©文藝春秋

早期復活を目指して実戦を重ねる、これまでと変わらない阪神の方針

 果たして、その後の藤浪は二軍に降格すると、早くも二軍戦に登板した。私はこういった流れを受けて、今度は文春野球で再び藤浪を取り上げたいと思うに至った。

 阪神首脳陣としては、あくまで早期復活を目指して実戦を重ねていく方針のようだ。すなわち、ここまで事態が深刻化しても、再生方針自体は今までと大きく変わらない。一部報道によると、シーズンオフに米国留学のプランもあるらしいが、今の藤浪については来たるシーズンオフよりも“現在の精神状態”が心配でならない。

 確かに、何人かの阪神OBは「実戦のマウンドで自信を取り戻すしかない」といった意見を展開している。また、その実戦とは二軍よりも一軍のほうが良いという。一軍のプレッシャーに打ち克って自分のピッチングをすることが、なによりもの心の薬になるわけだから、がんばって乗り越えてほしい――そういう期待含みの叱咤である。

 複数のプロがそう言うのだから、本来はそれが正論なのかもしれないが、今の藤浪を見ていると、もしやその正論は正論であるがゆえの頑迷さをまとってやしないか、と思えてくる。なにしろ、マウンドの彼はとてもじゃないけど好きな野球をPLAYしているようには見えない。折しも8月17日、元広島の北別府学氏が『藤浪投手に寄せて』と題したブログ記事を投稿し、その冒頭で「藤浪投手が野球が面白くないと話していたと聞いた」とつづったが、確かにそう漏らしていても不思議ではないくらい彼の表情は重く、暗い。