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1998年10月8日のベイスターズ ビールかけ中継を担当したあの日のこと

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/08/10
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いろいろなことがあった28分間

 共同会見後の午後10時半頃、件の地下駐車場で、現場にいると突然始まったとしか思えない「ビールかけ」。憧れを満喫する余裕など微塵もありません。

突然始まったビールかけ ©吉井祥博

 野村投手から勢い良くビールを浴びせていただき、プロレス団体のコスプレをした鈴木尚典選手と三浦投手の喜びを伝え、シュノーケルを口にした佐伯選手に恐る恐るインタビュー。「社会人時代お世話になりましたので」と熊谷組ヘルメットをかぶった波留選手と笑い合い、秋元捕手の背中に放置されていたビール瓶は取り除いてあげました。当時の高木由一打撃コーチとはビールを浴びながらしみじみと語り合い、三塁コーチを務めていた青山外野守備走塁コーチ(現ヘッドコーチ)は「マシンガン打線でしょ。腕を回し過ぎて、もう肩が上がらないよ」と満面の笑み。最後、チームを支えた畠山選手に聞く時分には私にも酔いが回っていた記憶が。

 駒田キャプテンと私の身長差は約30cm、私は喜びも重なり小刻みに飛び跳ねながら、マイクを向けていました。

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駒田徳広キャプテン ©吉井祥博

 駒田さんは当時を振り返り「ビールかけはセレモニー。ジャイアンツ時代は乾杯して、10分ほど喜んで終了だったけど、1998年は長かった。30分くらいはやったでしょう、終わらない、皆勝手がわからないのですから。でもその分嬉しかった。」と。確かに生放送の録画を確認すると28分間ありました。

 投手コーチだった齊藤明雄さんは「途中でビールが足りなくなりホテルの担当者が、冷蔵庫から出したビールを混ぜたのです。冷たいビールを浴びると結構応えましたね。祝勝会の後街に繰り出して何時まで飲んだかな。翌日横浜に戻る新幹線内は、選手が移動する車両ごとお酒の匂い。あ、一人だけ、戻ってすぐ先発の戸叶投手だけ、大人しかったかな」と今も嬉しそうに思い出を話してくれます。

齊藤明雄さんと筆者 ©吉井祥博

 ビールを浴びると目が痛くなります。初めて知りました。生放送のリポートをする私についても「喜びと感動とともに染みる痛みに目を押さえていた」と翌日のスポーツ紙が書いてくれました。 

 特番は、まだ続き、私はビールまみれのズボンやシャツを部屋のバスタブにつけて、すぐに選手個別のインタビュールームに直行。心も体も乾かぬまま、選手たちにお話を伺い続けました。

 翌日はスタッフと一緒に横浜に戻り、私はドラゴンズ戦の中継リポーター。家に一旦帰る時間がなかったため、濡れた着替えは手提げ袋に詰めたまま。心地よい重量感でした。

 翌9日のドラゴンズ戦は敗れましたが、試合後のセレモニーで横浜スタジアムでの胴上げと優勝報告、優勝ペナントを持っての場内一周はしっかりと目に焼き付けました。

 何度でも味わいたいと思った歓喜から22年。時に近づいては遠のき、離れ、今は優勝の可能性を常に携えたベイスターズ。たとえ「ビールかけ」がままならぬ状況であったとしても、満面の笑みは伝えたい。優勝してできることがあれば中継もあきらめずに工夫し進化していきます。シーズンの目標として選手が「優勝してビールかけをしたい」と言葉にしてくれる限り。

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