なぜだろうか、今年の梅雨はいつもより重たく感じる。やっと晴れた日曜の昼間、お布団を干し、たまった洗濯物を太陽の下に引っ張り出した。久しぶりに顔をのぞかせた青空を見上げる。怖いこと、嫌なこと、不安なこと……心を覆う黒い雲も、時がくれば自然と何処かへ流れていくのだろうか。だいぶサイズアウトしてしまったのに「これがいいの!」と言って聞かない息子の小さな青いTシャツ、“Baystars”のロゴを風がくしゃくしゃと歪めた。

「おいおい、なんで山﨑を下げるんだよ」

 テレビを見ていた夫が驚き半分、怒り半分の声を上げる。夫は「俺はベイスターズファンじゃない」と言いながら、なんだかんだ一緒に試合を見ている。野球を全く知らないままベイスターズファンになった私に「俺が教えなければ」という謎の義務感があるようで、前はちょっとめんどくさかったけど、今は有り難く拝聴している。

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 3年前、テレビの画面越しに見た倉本選手に心を奪われて、突然私の生活に、野球が、ベイスターズが入ってきた。何かのファンになる喜びと苦しみは大波のようで、最初の頃は小さなことにいちいち傷ついたり、感動したりして心が忙しなかった。そんな私を見て夫は「いちいち大袈裟だな」と呆れる。だって、倉本が打席に立つたびに、私は「お願い、打って」と祈る。同じように相手ピッチャーのファンは「お願い、抑えて」と祈っている。特別な思いは常に交差しながら、その結果はシビアで淡々としている。なんて残酷で、なんておもしろいんだろうと思うから。その勝負には誰も踏み込めない。だからこそこんなに無邪気に応援できる。

「ファンがラミレスを信じても、ラミレス自身が選手を信じてないんじゃないか」

「ここは国吉じゃないだろ……岡本にこの前も打たれてるじゃないか。データ、データっていつも言ってるんだったら」

 夫のぼやきは止まらなかった。同点でマウンドを降りた守護神の顔は、怒りに溢れているようで私は思わず目をそらした。「おかしいよこのところのラミレスは」と夫は言う。「いつぞやの巨人戦で突然濱口を下ろした時もそうだ」「9回にパットン一人だけ投げさせたアレもなんだったんだ」。「ファンじゃない」と言いながら、采配への不満は止まらなかった。

「でも日本シリーズまで導いてくれたのもラミレス監督だよ」。野球を見だしてから監督はずっとラミレスで、私は他を知らない。「采配」というのもよくわからない。私よりずっと、夫よりもずっと野球を知っている、選ばれた人しか就けない職業が監督なんだから、信じるしかないと思っていた。

「ファンがラミレスを信じても、ラミレス自身が選手を信じてないんじゃないか」。珍しく、少し寂しそうに夫が呟いた。

ラミレス監督 ©文藝春秋

「選手を信じてないんじゃないか」。夫の呟きは私の胸に小さな波紋を起こしていた。私の知っているラミレス監督は、新しいことにどんどんチャレンジする人、負けても誰かのせいにしたりせずに「明日はまた別の一日」と前を向く人だったから。

 ふと脳裏をよぎる。7月5日のヤクルト戦、スタメンでマスクを被った伊藤光捕手が2打席目で代打を送られたこと。試合後に「牽制のサインを見落とした」とその理由を語ったラミレス監督。「懲罰交代」というフレーズがネットニュースに踊っていた。ミスに対して「制裁を加える」という意味の「懲罰」、その言葉の響きは、私の感じていたラミレス監督のイメージとは真逆だった。何より監督の口から「選手が悪い」という趣旨の発言が飛び出したことにもショックを覚えた。

 プロ野球は厳しい世界、ミスが許されない世界というのも、私にだってそれくらいはわかる。だけどこの試合は結果的に「負け」てしまった。プロ野球にとって、チームにとって選手にとって、何より大事なのは「勝つ」ことなんじゃないのだろうか。ミスした人を見せしめにすることよりも。

 ずっと悶々としていた。ラミレス監督を信じたいし、応援したい。だけど私のそんな気持ちは簡単に砕かれた。ネットで目にした試合後の監督インタビューに。

「(試合前に発表された)伊藤光の登録抹消は、(マスクを被った時の)防御率が悪かったから」

「残念ながら最後にヤス(山崎)が試合を締めることができなかった」

「(2回一死一塁の場面で)ランエンドヒットのサインを出そうとしたが、平良がサインを分かっているか定かではないので出すのをやめた」