このシーンに岩本勉さんは「こんな人から見える場所で泣くものじゃない、泣いてる場合やない、練習してプレーで見返すんや」と叱咤激励した。
番組にも同様のメッセージが多く届いた。だけど、私はこの時、平沼選手は一人になれる場所としてベンチにいるんじゃないかと思っていた。ロッカーで泣くのはどうしてもいやだったんじゃないかと思った。ドームに観客が残っていてもそれは目も合わせられないような遠い距離。試合は終わっているのでカメラが回ってるとは想像していなかったかもしれない。
チームメイトの前で泣くのは嫌だったんじゃないか。もし裏で泣き、誰かに声をかけてもらえば、今自分の感じている悔しさがぼやけてぶれてしまう、この悔しさを絶対に忘れないための選択がベンチだったんじゃないかと思ったのだ。そしてきっと金子コーチはそれを察して、無理に裏に連れていくことはせずにまた一人にしてあげたのではないかと思った。
あの涙にはめそめそしたものなんてなかった
今年、高卒5年目の平沼選手は名門・敦賀気比高校出身、2015年の選抜高校野球の優勝ピッチャーだ。ファイターズはバッティング力を買って、内野手としてドラフト指名する。最初は葛藤があった彼だけれど、プロの生活をしていくうちにその迷いは吹っ切れる。
ショートのレギュラーを目指して、鎌ヶ谷で居残り練習をしていた姿が今でも忘れられない。ノックを打っていたのは当時引退したばかりの飯山裕志ファーム内野守備コーチ。説明の必要などない守備の名手。飯山選手には当たり前じゃないのに当たり前に見えてしまう美技がたくさんあった。外野に抜けていてもおかしくない打球を当然のように捕る、誰かのエラーもすっとなくしてしまうようなカバー、技のすごさを感じさせないのがとても得意な選手だった。だから見逃してることもたくさんあるだろうし、これぞファインプレー!という派手な姿を見られた時はとってもお得に感じたものだ。
私たちファンはあの技がどんな風に若手に引き継がれるのかを楽しみにしている。飯山選手は言っていた。練習で100%出来ないなら、本番で100%出来るわけなどない。平沼選手の涙はこの言葉をわかっているからこそ、ひとつの自分のミスに大きな大きな責任を感じたのかもしれない。
「責任」、この言葉は成長した選手にしか使えない。あの涙にはめそめそしたものなんてなかった。ステップアップの涙だった。彼が「名手」になった時、あのベンチでの涙を思い出しながら口元を緩めたい。
そしてその時の飯山コーチの表情もぜひ垣間見たいと思う。きっとそれはずっと追いかけるファンだけにわかる最高の喜びセットのはずだから。
◆ ◆ ◆
※「文春野球コラム ペナントレース2020」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/39947 でHITボタンを押してください。
この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。