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森本稀哲から本物の「ゴールデングラブ」をもらった話

文春野球コラム ペナントレース2020

 8月末、森本稀哲氏のYouTubeチャンネル『ひちょりズム』をご覧になった方は驚かれたことと思う。タイトルが「森本稀哲、ゴールデングラブ賞を譲る」だ。アップされた動画を見ると設定はベースボールバー・森本のカウンターである。客として登場したのが他ならぬえのきどだった。えのきどは横尾俊建を激励するかのようにおにぎりTシャツを着ている。そして、どう見てもひちょり本人に見える「ヒゲのマスター」と野球談議を始めるのだが……。

 これが何と「ゴールデングラブ」を譲り受けたのだ。森本稀哲選手が2008年に受賞した三井ゴールデングラブ賞の、本物のゴールデングラブトロフィー。ひちょりは外野手として3度、同賞に輝いているが、これは3回目のものだ。授賞式にマイケル・ジャクソンのコスプレで出席し、周囲から浮きまくっていたのをご記憶だろうか。あのときのゴールデングラブだ。マジの本物。

 いや、正直、僕はひちょりのタニマチでもないし、そんな大切なもの貰っていいものなんだろうかと大いにビビった。が、こんなこと人生で二度とない。読者よ、人間は2通りだ。ゴールデングラブ賞を貰う人間と貰わない人間。ん? 3通りか。加えて、ゴールデングラブ賞を貰った人から貰う人間。

これが08年ゴールデングラブ賞トロフィー。間近で見ると目が痛いほどゴールデンです! ©えのきどいちろう

「ゴールデングラブ貰ってくれますか?」

 動画を見た応援仲間らの反響は大きかった。「天罰が下るぞ」「いっぺん見せろ」「それでキャッチボールをしよう」「どうしてオレじゃなく、あんたなんだ」「三井に返上しろ」。そのようなやっかみをべつとすれば、基本的な反応は「なぜ動画のなかで大して驚いていないのか?」に集約されよう。自分だったらバーカウンターの椅子から転げ落ちると。

 それはもちろん事前にひちょり本人から知らされていたからだ。ある日、ケータイに電話があった。

「もしもし、えのきどさんご無沙汰してます。ちょっとお聞きしたいことがあって電話したんですけど。ゴールデングラブ貰ってほしいって言ったら……、貰ってくれますか? コロナで家を片付けてたら大きな箱が出てきて、行方不明だと思ってたゴールデングラブだったんです。家に置いててもまぁまぁかさばるんで、誰かに貰ってもらおうかなーと思ったんですけど、えのきどさんしか考えられないんです。2008年、梨田監督の1年目のシーズンのやつです。ホントにかさばりますよ」

「ベースボールバー・森本」のカウンターです。ぜひYoutube「ひちょりズム」をチャンネル登録してください。

 感激だった。もちろんありがたく受けることにした。ひちょりは僕にとって特別な選手だ。ご実家の日暮里「焼肉 絵理花」に通いつめ、いつしか森本家とは家族ぐるみのつき合いになった。高卒ルーキーの1年目、鎌ケ谷でバット引きをしてた頃からずっと見続けて、何度も1軍の壁にはね返される様子や、ついにチャンスを得てレギュラーをつかみ取り、チームの斬り込み隊長に成長するのを原稿にしてきた。それに何と言っても彼はファイターズの歴史を変えてくれた選手だ。2006年、パ・リーグプレーオフ第2戦、「四半世紀ぶりの優勝」のホームにすべり込んだ選手だ。あのホームイン、斉藤和巳から奪ったあの1点がファイターズを「優勝できるチーム」に変えてくれた。

何と言っても彼はファイターズの歴史を変えてくれた選手だ ©文藝春秋

 ファイターズとゴールデングラブ賞の縁は深くて、昨年(2019年シーズン)、西川遥輝が自身3年連続の受賞を果たしたことで、チームとしては1993年以来、27年連続で受賞者を出したことになる。90年代、「ビッグバン打線」で売り出した東京ドームの頃も、00年代、外野の広い札幌ドームを本拠地に据えてからも、ファイターズには守備の名手がいた。大づかみに傾向を言うと東京時代は田中幸雄、広瀬哲朗、金子誠といった名内野手、北海道時代は新庄剛志、稲葉篤紀、森本稀哲、糸井嘉男、西川遥輝とスター外野手が揃っているイメージだ(もちろん、中田翔のような例外はある)。